こんにちは。


今回は、住んでいる街フィレンツェの中心街へ。




(フィレンツェ 大聖堂のクーポラ)





(ジョット作 鐘楼) 



見慣れている風景なのに、


何度見ても、


感無量。。







今日は、このドゥオーモの後ろにある、


ドゥオーモに関連した歴史的美術品が展示された


大聖堂附属美術館 

(MUSEO DELL’OPERA DEL DUOMO)

の鑑賞に行ってきました。




この美術館は、


ミケランジェロが、かの有名な「ダビデ像」を制作したアトリエだったそう。びっくり


あのダビデ像がこの場所で制作されたのかと思うと、

ビリビリっとしてきました。。



(その後この場所は、1800年代にはテニスコート、1900年代には、車のガレージだったと言うから、歴史は面白い)





大聖堂に関連した作品があるというので、


宗教的な美術品ばかりかな、、


と思っていたのですが、


ある知人が、


「絶対に見る価値がある!」


と断言していたので、もう20年近くずっと行きたいと思っていました。


でも近所にかぎってなかなか行く機会がないものなんですよね、、。


それが数日前、ガイド案内付きの鑑賞会があると知り、

時間的にも日にちも都合が良かったので、


やっと行けることに!






天井の高い、大きな広間に展示されていたのは、


今の大聖堂の、1300〜1400年代のファザード!



今ある大聖堂のファザードは、


なんと1880年代に完成されたもの。

(どちらかと言うと、つい最近)






このファザードの工匠頭に任命され、初期設計を手がけたのは、


アルノルフォ・ディ・カンビオ (1245〜1302)


完成は、1390年代と言うから、約100年を費やしたと言うこと!!


(設計士も三世代に渡って引き継がれていきました)



それなのに!

この素晴らしいファザードが、流行遅れなスタイルだからと排除されてしまったのだから、

これまたびっくり!



当時は、「昔の物は大切に、歴史的建造物を保存しよう」


なんて感覚は全くなかったんですね。。







この聖母子像のマリア様、、





なんと、、

目がガラス製。。。!!






大聖堂の真ん前にある、


サン ジョヴァンニ洗礼堂


天国の扉」 のオリジナル作品


(礼拝堂にある扉はどれもレプリカです)



(https://duomo.firenze.it)






豪華な純金を張り巡らせピカピカ扉キラキラ


製作者は、ロレンツォ・ギベルティ(1381〜1455)



こちらはもう一つの「北の扉」






実は扉の中に、ギベルティの自作像があるんです。






同じ礼拝堂のもう一つの扉にも、、





扉を作るうちに、歳をとったことが伺えますね。



この素晴らしい扉は、一生かけて仕上げたと言っても過言ではないでしょう。






こちらミケランジェロの未完成作品「ピエタ





ダビデ像のあるアカデミア美術館に行くと、


ミケランジェロの未完成の作品がたくさん展示されていますが、


これらを見ると、ゾクゾクしてきます。


ただの石から、人の魂が生まれる瞬間を見ているような感覚になるからです、、




キリスト様のほぼ完成された人間の身体と


マリア様の、まだ石ノミの痕が見える石像、、



キリスト様の左脚が切れていますが、


この後どうするつもりだったのでしょうか、、



ミケランジェロは、この石像を、彼の墓の墓碑にするつもりだったそうです。



後ろのニコデモ(キリストの弟子の一人) はミケランジェロ自身の自作像です。










以下は、ジョット作の鐘楼の基底部の装飾品、
レリーフと石像です。

鐘楼は、この記事の2番目の画像をご覧ください。




下の段の五角形のレリーフは、人間の様々な職業が描写されています。






羊飼いとか、、






ワイン作り?


モゼが、酔っ払っています〜爆笑






医者。


尿検査をしています。


当時は、医者は尿を舐めて病気を当てていたそうです❗️








たくさんの石像。


全部で16体。


旧約聖書に登場する人物たち、


特に初期ルネッサンスの代表的な彫刻家 ドナテッロ(1386〜1466) の作品の、その人間描写は、

素晴らしいです。











同じくドナテッロの木製彫刻。


ルネッサンス初期(1400年半ば) の作品とは思えない斬新さ。


近代の作品と言われても全く違和感がない。。


(マグダラのマダレーナ)





最後に、

大聖堂に入ってすぐの両脇の壁に設置されている、

CANTORIA (聖歌隊席)




こちらは

ルーカ・デッラ・ロッビア







こちらは、

ドナテッロ




子供たち(天使)が楽器を奏でたり、踊ったり、


音楽の楽しさの描写が素晴らしいですキラキラ




同じ時代に共にローマで修業を積んだ芸術家のこの二人。


どちらも素晴らしい作品であると同時に、


作品に違いを見るのも、、


人間の感性の違いの面白さとでも言うのでしょうか。


音楽にも通ずる興味深いものを感じました。




今日も最後まで読んで頂き、


有難うございました。


ハートハートハート


あしあとあしあとあしあと

こんにちは。


やってまいりましたー。ニコニコ

スカルラッティ  ソナタ特集!


今回は、全集からのセレクトです。キラキラキラキラ


(こちらも是非ご参考に〜)



さて結果から見て頂きましょう。


これは、あくまで私個人の趣味で選んだ曲ですので、ご了承ください〜。


因みに、番号はカークパトリック(K) です。



(拡大してみてくださいね)




555曲

100曲ずつコロンに分けてみました。


この表は、私がチェンバロを始めた1990年から現在までの34年間で、

コンサートのプログラムに選んだ曲です。




//があるのは、例えば2回弾いたことがあるのは/、

3回弾いたことがある曲は、//と記しています。

(数字だけは一回だけと言うことです)




こうして表にしてみると面白い!


200番台の後半から300番台の殆どが、

私の好みとしてはイマイチだったと言うことになります。


実はここ数日、500番台、つまり500番から555番までを弾いてみて、好きな曲をセレクトしてみたら、

なんとこの表と全く同じだったんです!!



30年前も今も

私の好みは変わっていないと言うことです。照れ


好きな曲が一番多いのは、100番台ラブ


100番以前400番台は、少し(10曲に1曲の割合)


200番台500番台は僅か。


300番台はほぼ無し


と言った具合です。




私が曲をセレクトする基準は、

ハーモニーです!キラキラ


中世紀、イスラム教の支配下にあったスペイン、アンダルシア地方で生まれたギターで演奏されるフラメンコの音楽の元となる、

哀愁のこもったハーモニーが

(イベリア半島の民族音楽)


が大好きです。ハート




今回こうして意識的に選択していて感じたのですが、

スカラッティは、好きな曲とそうでない曲との

差が大きい!!


好きな曲は、その曲の構成もハーモニーも絶妙なのに対し、


それ以外の曲は、


まさに、バロック時代のチェルニーの練習曲集


アルペジオや飛躍音、スケールなど、

まさにテクニックを鍛える練習曲なのです!


本当に同じ人が作曲したのでしょうか!?


と思いたくなるくらい

違うのです。



きっと、「これは練習用に」、とか、「これは演奏会用に」、とか目的を考えて作曲していたのでしょうか。。




それはさておき、


スカルラッティ555曲から

どれを選ぼうか、と考えている方がいらしたら、

是非、この表を参考にしてみてください。




因みに、

500番台のランキング1位は

(あくまで私のとって)

519番ですキラキラキラキラ拍手拍手


この曲は、次回のリサイタルのプログラムに入れようと思っています〜ハート


ブルー音符ブルー音符ブルー音符





こんにちは。


この夏の南イタリア旅行記


第5回目は、

イタリアの長靴の地形の踵の先に当たるプーリア州の最南端の街、

サンタ・マリア・ディ・レウカ

をご紹介します。




(地図の赤い丸レッドがサンタマリア・ディ・レウカ)





イタリア半島とボスニアなどのあるバルカン半島の間にある

アドリア海


イタリア半島の南とギリシャ半島との間にある

イオニア海

合流する地点。


(どちらも地中海の海域です)






(サンタマリア・ディ・レウカは青い丸ブルー)




この地図からも分かるように、

ヨーロッパのキリスト教の人々が、

キリストの生誕地 エルサレム (イスラエル) へ巡礼に行く際、出航する港でもあったようです。

でも当時は、北ヨーロッパからはるばるここまでやって来ても、

イスラエル付近が戦争中で近づけなかったり、

病気になって歩けなくなったり、

など色々な理由で、この地点で巡礼を断念しなければならなかった教徒も多かったようです。














そんな教徒たちに、


祈りの場として設けられた


Basilica santuario di Santa Maria de Finibus Terrae

最終地点の聖母マリアの礼拝堂 聖堂


海を渡れなかった人々が、


ここを巡礼の地として

祈りを捧げていた場所





16世紀前後に、トルコ人やサラセン人の襲撃にあい、

何度も破壊され再建されたそうです。




この教会が火災にあい、その後

修復された聖母子のフレスコ画ですが、、








聖母マリアとキリスト様の部分だけは、焼けずに残っていたそうです。


以下はオリジナルの聖母子の絵





ミラクル、、




あしあとあしあとあしあと



今日も最後まで読んで下さり有難うございました。


インスタの画像も良かったらご覧ください〜





あしあとあしあとあしあと