こんにちは。


1週間の南イタリア周遊旅。


今日は3回目の記事。


マテーラで発掘された


古代ギリシャの陶芸品をご紹介します。


陶器の形や描かれている絵が、


現代的な感覚から見ても、とても素敵で


普通にショップに展示されていても全然違和感がないんじゃないかな、、と思うお皿もたくさんありました。





数多く見られる大きな壺。


実はワインと水を混ぜるための壺だそうです。


当時のワインはアルコール度が高かったのでしょうか。。




当時はギリシャから運ばれて来たものもありましたが、

マテーラに素晴らしい陶芸家がいて、絵を描いていたそうです。



(これらの展示物は、紀元前300〜400年に遡ります)





女性の頭にツノ。

ギリシャ神話に出てくる人物。



ギリシャ神話に基づくモチーフや、当時の生活の様子が分かる絵や動物の絵など、お墓の埋葬品に作られた玩具のキッチンセットのような物もありました。





これを描いた作家の個性も伝わってくるような、

かわいい鳥の絵。











当時流行っていた女性のヘアスタイルでしょうか。







このカッコいい闘牛のカップ!


なんとワイングラス赤ワイン


これで飲んでみたい〜爆笑







豪華な壺は、結婚式などのセレモニーのために作られたそうです。






なんとかわいい模様ではありませんかピンクハート










このお皿には、やっぱり魚料理?!!


魚の表情がかわいい、、ブルーハーツ











豹?

可愛すぎませんか?





なんとも愛らしい絵ばかりです〜


ハートハートハート






このように筆で描いていたんですね。




微妙な色の違いは、何度か釜の温度を変えることで、色の違いが出てくるそうです。



あしあとあしあとあしあと


ご鑑賞有難うございました。





こんにちは。


前回のマテーラの記事に引き続き、



この土地の特徴的な住居である洞窟についてご紹介します。




洞窟住居博物館 館内



ヒンヤリとした洞窟内の天井は思ったより高く広いです。



この部分は、釜。

パンを捏ねている石像がありました。



洞窟が住居として利用されていたのは、旧石器時代にも遡りますが、


一番最近の記録としては、1800〜1900年代になります。


1806年に州都がこの街から他の街へ移されてから衰退が進み、


イタリアの他の街との交流も絶たれ、


一時期、忘れ去られた街となり、

1900年代半ばまで


この洞窟(上部画像 入り口の部分) には、


家族が家畜と一緒に住んでいました。






当時は、約2万人の住民が、

街中の洞窟の中で、家畜と一緒に住んでいたそうです。



家畜(ラバや豚) と一緒に住むと言うことは、


住居の中に家畜の糞尿もあったわけで、


衛生的に人間が住める状況ではなかったようです。


当時のこの街の新生児の生存率は、なんと40%!


二人出産したら一人は亡くなっていた!?


死亡率が高いからこそ、子供の数も多かったようです。






この街をたまたま通りがかった作家


カルロ・レーヴィが、この街について本を出版したことから、


マテーラの街は一気に有名になり、

イタリア中で話題になります。




日本語版もありますので、

良かったら読んでみてください。



本の題名「キリストはエボリで止まってしまった


は、マテーラの西にあるエボリという街からマテーラへ向かう内陸は、キリストからも忘れ去られてしまった場所だという意味です。







1950年ごろ、政府の政策でこの街の住民は


洞窟住居を衛生的に改築するか、


さもなくは、隣り町に用意された住居(アパート)への強制移住を余儀なくされました。






この辺りは、洞窟をもっと奥へと入ったところ。


この辺は、土に埋まっていた部分で、


近年発掘されました。


中世紀時代に、食物の市場として利用されていたそうです。









まだまだ発掘を続けていけば、限りなく洞窟住居が姿を見せてくれそうです。



そんなマテーラですが、


1993年にユネスコ世界遺産に登録され、


2019年には、欧州文化首都に選ばれました。








以下は、マテーラの大聖堂の内部です。








次回は、この土地で発掘された、

紀元前300〜400年頃の 古代ギリシャ植民地時代の陶芸品をご紹介します。


あしあとあしあとあしあと





こんにちは。



この夏の休暇は、

南イタリアを旅して来ました。


フィレンツェから南イタリアへ一気に車で行くには遠すぎるので、

行きも帰りも 中間地点カンパーニャ州サレルノ県 の バッティパリアと言う街に一泊。







2年前にも利用したホテル。


施設内のレストランの料理があまりに美味しかったので今回もリピート。





チーズがとにかく美味しいー!ラブ


パスタ魚介類も食材が新鮮〜



あしあとあしあとあしあと



そして次の日は、念願のイタリア南端旅行へ出発。



先ずは、マテーラへ。




(🔵 バッティパリアのホテルから🔴マテーラへ)




マテーラは、長ぐつ地形イタリアの


土踏まずの部分。


バジリカータ州にあります。


旧市街地区は、石灰質の岩肌に掘って作られた

洞窟住居が特徴。





丘の上から見える眺めは、

驚くほど美しい〜ラブ



昼と夜に撮った大聖堂









南イタリアは、夜の街が賑やか。

昼間は、焦げるような暑さなので街には殆ど人がいないのですが、

午後8時を過ぎると
街中に子供連れの家族、カップル、高齢者、若者が溢れ出て賑やかに、、!!


旧市街の階段を降りていくと、

正に迷路!



正にこの図形の通り‼️










紀元前4世紀ごろ
古代ギリシャの植民地として繁栄し、
クレタ島からの移民でこの街が形成されたと言われています。

その後、9、10世紀に至るまで、
ローマ帝国ランゴバルド王国(ドイツ)、
サラセン人(イスラム教 アラブ人)、
ビザンチン(東ローマ帝国)との間で侵略が繰り返されていきました。

1043年に ノルマン人(北フランス・イギリス) の征服によりやっと平和な時期が訪れました。

その後、干ばつや地震などの天災が続いたのち

アラゴン連合王国 (南スペイン) の統制下に入ります。

1663年、スペインの統制の下、1806年までバジリカータ州の州都となり、繁栄します。


要するに
いつも何処からか
色んな民族が侵略を繰り返し、
安心して生活することなど
出来なかった

それが南イタリア全体に共通する
民族の歴史だと
理解しています。





洞窟は、旧石器時代にも遡ると言われています。


次回は、紀元前にギリシャ人が持ち運んできた、
手描きの陶器をご紹介します。



そして、

1993年にユネスコ文化遺産に登録されるまで、

イタリア国民から完全に忘れられていた

マテーラの隠された秘話
ご紹介します。



あしあとあしあとあしあと



https://www.instagram.com/reel/C-aOp_oCtLR/?igsh=NmllOW83NG9yZjBs