こんにちは。
前回のマテーラの記事に引き続き、
この土地の特徴的な住居である洞窟についてご紹介します。
洞窟住居博物館 館内
ヒンヤリとした洞窟内の天井は思ったより高く広いです。
この部分は、釜。
パンを捏ねている石像がありました。
洞窟が住居として利用されていたのは、旧石器時代にも遡りますが、
一番最近の記録としては、1800〜1900年代になります。
1806年に州都がこの街から他の街へ移されてから衰退が進み、
イタリアの他の街との交流も絶たれ、
一時期、忘れ去られた街となり、
1900年代半ばまで
この洞窟(上部画像 入り口の部分) には、
家族が家畜と一緒に住んでいました。
当時は、約2万人の住民が、
街中の洞窟の中で、家畜と一緒に住んでいたそうです。
家畜(ラバや豚) と一緒に住むと言うことは、
住居の中に家畜の糞尿もあったわけで、
衛生的に人間が住める状況ではなかったようです。
当時のこの街の新生児の生存率は、なんと40%!
二人出産したら一人は亡くなっていた!?
死亡率が高いからこそ、子供の数も多かったようです。
この街をたまたま通りがかった作家
カルロ・レーヴィが、この街について本を出版したことから、
マテーラの街は一気に有名になり、
イタリア中で話題になります。
日本語版もありますので、
良かったら読んでみてください。
本の題名「キリストはエボリで止まってしまった」
は、マテーラの西にあるエボリという街からマテーラへ向かう内陸は、キリストからも忘れ去られてしまった場所だという意味です。
1950年ごろ、政府の政策でこの街の住民は
洞窟住居を衛生的に改築するか、
さもなくは、隣り町に用意された住居(アパート)への強制移住を余儀なくされました。
この辺りは、洞窟をもっと奥へと入ったところ。
この辺は、土に埋まっていた部分で、
近年発掘されました。
中世紀時代に、食物の市場として利用されていたそうです。
まだまだ発掘を続けていけば、限りなく洞窟住居が姿を見せてくれそうです。
そんなマテーラですが、
1993年にユネスコの世界遺産に登録され、
2019年には、欧州文化首都に選ばれました。
以下は、マテーラの大聖堂の内部です。
次回は、この土地で発掘された、
紀元前300〜400年頃の 古代ギリシャ植民地時代の陶芸品をご紹介します。