三千仏礼拝を満行した朝、会社に向かう運転中に幸福感が湧き上がった。人生を祝福するってこういうことか?という気持ちになった。

会社のお化粧室で手を洗う時、目の前の鏡に映る自分の顔の口角が自然に上がっているのに気がついた。


そこで思い出したのは、


礼拝業は好相業


という言葉だった。

私の仏教の教科書である、師のブログ「准胝院のブログ」もしくは師の師にあたる方の「金翅鳥院のブログ」のいずれかで読み、心に残っていた言葉だ。


三千仏業は滅罪が進むので精神的に苦しいが、乗り越えると人相が穏やかになる…といったお話だった。


三千仏業の中盤は、いつも同じパターンで失敗を繰り返してしまう自分の愚かさに直面していた時期と重なったので、業をしながら自分を追い込み、逃げずに自分のダークサイドを直視した。


この行いが自分と向き合う時間となり、人生の主導権を自分が持っていると感じ、感情が整えられた。


そして、窮地に陥っていても、今回も大丈夫!と自分に言い聞かせて、自分の人生に責任を持っている潔さを感じていることに気がついた。


今までは自分のダークサイドを直視できず、逃げていたから、感じられなかった人生に対するオーナーシップだ。


ダークサイドを深掘りするため、なぜそうしたんだろうと自問し、その答えを紙に書き出してみた。

ペンが進まない。思い当たる理由をすぐに否定して言い訳をしてしまう!恥ずかしくて苦しい!!


でも、私の人生の最高の目標である、魂磨きの一つのワークとして、継続してみたい。


開花した月下美人。真夜中に母が起きて撮影。