世間を騒がせたSTAP細胞の論文著者である小保方晴子さんの記者会見が2014年4月9日に行われました。
小保方さんの受け答えを聞いていると、女性の尋問での対応の特徴が良く出ているなと思い、興味深く会見を見ました。

 

私はメディアを通じて、「女性は証人尋問で、客観的な証拠とは無関係に主観に基づいて淡々と話す、そして事実ではない事も事実と記憶をすり替えて話せるため、表情などから嘘がばれにくいなどといった特徴がある」と述べてきました。

 

私には、小保方さんの疑惑の真偽は全くわかりませんが、会見では非常にこの女性らしい特徴が出ていたと感じました。

 

例えば、STAP細胞の存在は事実である、ねつ造はしていないと真っ向反論していましたが、その論拠となる客観的な資料は一切示されることはなく、「私は」やっていない、「私は」みた、とあくまで主観に基づいた主張に終始していました。

 

記者からのかなり突っ込んだ質問に対しても、怒ることもなく淡々と自分の主張を述べていましたが、これは少なくとも自分で自分を説得出来ていたからだと思います。
ただ、写真の転用については認めたものの、悪意は無いと述べ、「撤回すれば論文が間違っていたことになる」として論文の撤回には応じないという強硬な姿勢もみせていました。これは、男性からすれば、「間違っていれば撤回すべきだし、間違っていないなら撤回すべきでない(ただし根拠を示すべき)」という論理になるところ、小保方さんは「撤回すると間違っていることになるし、撤回しないのは間違っていないからだ」という論理にすり替えていることが感じられました。

 

これと比較するとわかりやすいのですが、男性である作曲家の佐村河内守さんは会見において、自身の疑惑に対して、医師の診断書を提出して難聴であることは事実であると述べ、その上で、全く聞こえないというのは嘘であることを認め、障害者手帳も返納したと述べていました。

 

小保方さんが、自分の気持ちを一方的に主張し続け、結論において一切の譲歩をしなかったのと違って、佐村河内さんは客観的な証拠を示すように努めていた上、客観的な証拠に沿わない部分は嘘であると認め、一定の社会的な制裁(謝罪、返納、断髪等)を受けることで許しを得ようとしています。

 

これは裁判の証人尋問の場であっても、判断が分かれると思いますので、どちらが正しい主張の方法かは一概には言えませんが、男性と女性で、ある疑惑に対する反論の場における主張方法の違いがここまであるというのは、大変興味深いものです。

 

小保方さんの会見は、見る人によっては、事実や証拠を一切示さずまともな反論になっていなかったという感想を抱くと思います。実際に新聞の論調も、「証拠示さず」と研究者としてあるまじきというものが多かったようです。
しかし、一方で「小保方さんがかわいそう」という印象を持った人も多いようです。
これは、彼女がデータなどを何も見せず、ただ「何も悪い事はしていないのに疑われているかわいそうな私」という1点だけを強調したことで、「なんかかわいそう」という漠然とした印象を抱かせたことが理由かと思います。

 

このことから、人は証拠や根拠によらない漠然とした印象で事実を判断しているということがわかります。
その点まで理解した上で、小保方さんが今回の会見を演出したということであれば、本当にたいしたものです。彼女が依頼しているのが船場吉兆の謝罪会見も担当した男性の弁護士さんということからしても、これは弁護士からのアドバイスではなく、小保方さん自身のナチュラルな演出なのかもしれません。でも「頭が真っ白になった」というのがその弁護士のアドバイスだったとしたら、今回も弁護士のアドバイスかもしれません。

 

小保方さんの親しみやすい見た目とも相まって、「なんかかわいそう」な感じが良く出た会見になりました。

 

なお、余談ですが、彼女が理研のリーダーという地位につけた背景には、理研や理系大学院の人間関係が影響しているのではないかと推察します。
自分の主観で生きているいわゆる「不思議ちゃん」は、女性慣れしていない理系男子から受けが良いそうです。
人間性も能力のうちですので、彼女の出世は、当然のことだったのかもしれません。
そして、その彼女がこのような「科学者としてあるまじき」事件を起こしてしまったのも、ある意味当然のことで、小保方さんからしても悪い事とは思わない、当然のことだったのかもしれません。