★シングルマザーの幼少期イギリス滞在記★

★シングルマザーの幼少期イギリス滞在記★

3人の男の子を育てている40代のシングルマザーです。ここでは、将来子供たちにも読んでほしいなという願いから、 私が小学6年の夏から突如イギリスの北アイルランドに放り込まれた時の体験を綴っていきたいと思います。

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さすが!!

日本の学校とイギリスの学校の違い(私が通っていたプライベートスクールだけに限る内容もあるかもしれませんが)。
いくつかありますので、順番にご紹介していきます。

 

まず、一つ目は、朝学校へ行くと各教室で出席の確認があります。


名前を呼ばれれば、「Yes, sir.(先生が男性なら)」や「Yes, Mrs. (先生が女性なら)」と大きな声で返事をします。


それが終わったら、Assembly Hall、つまり集合館みたいなところに全校生徒が集まります。

 

そして私が驚いたのは、イギリスの学校は、上質な黒い皮の靴を履いて通学しなければならないのですが、

少しでも汚れていようものなら中に入れてもらえません。
もし汚れていたら、先生に入口で呼び止められ、その場で用意してある靴磨きクリームを使って

自分で靴を磨かなければなりません。


チラホラ、その光景が見受けられましたが、あまりにもの徹底ぶりに、今思えば素晴らしい習慣だなと、

感心しかありません。子供のころからそのようなしつけをしていることに、とても感動します。

 

キリスト教が主な国でありましたので、集会ではお祈りをして、歌を歌います。


そして、授業が始まるのです。

ドキドキ…!!そして号泣

上の写真は、このnoteの画像挿入機能のところで「Northern Ireland(北アイルランド)」

と入力して唯一ヒットした画像です。
思わず「懐かしい…」とつぶやいてしまいました(笑)

さて、イギリスのロンドンと言えば、おしゃれな2階建ての真っ赤なバスや

品が漂う有名な黒いタクシーがビュンビュン走っていて、

素敵な建築物がずらりと並び、人が多くて、そりゃあもう大都会です。

しかし、私が引っ越した先は、都会とは程遠いとてもカウントリーな北アイルランドという場所です。

そう、名の通り、アイルランドの右上にあるのです。

左上の濃いピンクの部分が北アイルランド

世間的には、特に日本人にとってはとてもマイナーな場所であり、

ひょっとしたら、当時現地で知り合った日本人の誰かが、

「北アイルランド」と日本語で検索をすれば、簡単にこのブログが見つかり

私のことが特定されてしまうかもしれません。それくらいにマイナーな場所です。

 

実はここにはある宗教的な歴史があり、これについては、私のここでの生活に大きく関わってくることになるので、改めて後日記事を書きたいと思います。

 

と、話がタイトルから大きく外れてしまいましたが、ここからは学校初日の出来事を書いていきたいと思います。

 

北アイルランドには、言わば日本人学校というものは存在しませんでした。
上記しました通り、北アイルランドには、日本人はほとんど居なくて、当時は日本人の子供は私と弟のみで日本人にとってはあまり関わりのない場所だったのです。
観光しに来る人もほぼほぼゼロだったと思います。

 

というわけで、私と弟がまず放り込まれたのが、現地の学校で、しかも、そこは普通の学校ではなくて、現地に住んでいた日本人に進められて父が選んだ、超お金持ちの子供たちが通う学校だったのです。

 

建物は、昔かつて貴族たちが住んでいたと言われる立派なもの。とても古いのだけど、品が漂う赤い絨毯があちこちに敷かれていて、登る木の階段もキシキシと静かに音がなる。

画像
ネットで見つけました。ここが、私が最初に通っていた学校です。

上の写真が私が通っていた一つ目の学校です。庭は全て芝生。この建物の裏にはとてつもなく広い芝生の運動場があり、すぐそこは海です。


この写真からも優雅さが漂ってきますよね。

ここからが本題に入りますが、初日学校へ到着するや否や、私は大勢の生徒たちにぐるりと囲まれてしまいました。滅多に目にしないアジア人に興味津々のよう。(私たちも、外国人がいきなり転校してきたら興味津々になりますよね)


先生がお世話係の子を一人選んでいてくれたようで、その子がいきなり私のところへ来て、とびっきりの笑顔で
「Hi, I'm Julia.」と声をかけてきてくれました。


今はこうして冷静に打ってますが、もちろんHi, I'm Juliaだなんて聞き取れているわけもなく…多分、最初の第一声はこうだったんだと思います(笑)

 

そしてJuliaはきょとんとする私に向かって容赦なく話しかけてきます。

 

「〇×▽?? 〇×▽□…..!」

 

わ、わかりませーん!!
ちっとも、わかりませーーーん!!(泣)

 

で、私がその時唯一最初に学んだ英単語。
「Say」です。

 

Say…. これは、「言う」という意味なのですが、どうやらJuliaは私に英語を教えたくて、

「Say "apple"」とか、「Say "nice to meet you"」とか、
「~と言ってごらん」みたいな感じで話しかけてくれていたのです。


不思議ですね、そのことを悟った私は、夢中になって彼女の言う単語を真似して発音していました。周りの生徒たちは興味津々で私を見てきます。
あんなに大人数に囲まれて大注目されるなんて、生まれて初めての体験でした。

 

そんな感じで朝一で緊張させられ、次はいきなり焦ることが起きました。
なんと、大学と同じように、科目別に教室を移動しなければならなかったのです。もちろん、一日分の教科書・ノート・筆記用具の入った鞄を持ち歩いての移動、しかも私の場合、重い重い英和辞典と和英辞典入り!!!

それは大変ながらも特に問題ありませんでしたが、それよりも私が焦ったのは、次どこの教室へ行ったらいいのかがわからなかったのです。

休憩時間になると、皆散ってしまってトイレに行ったり、ちょっと運動場に遊びに行ったりしますよね?そんなことをされると、パニックになって置いてけぼり状態…声をかけるにも英語話せないし、自分もトイレに行きたいからとりあえずトイレに行けば、もちろん次どこへ行けば良いのかさっぱりわからない。。。。

 

途方にくれ佇んでいる私を先生が見つけてくれて次の授業のある場所へと連れて行ってくれました。

座って授業を聞いていたって、頭の中は

 

「?????」

 

ちんぷんかんぷんです。
ドキドキが収まらず、すっかりテンションダダ下がりです。

 

そして、お昼がきました。
お昼は、少し離れた場所にある食堂で用意された食事を食べるというスタイル。
クラス別に横に長いテーブルを囲う形で座り、先生が端に座り皆にどれくらいの量が欲しいのか聞きながらお皿に料理を盛っていきます。
少量でよかったら「Small, please.」といった感じです。

 

で、そこでプチ事件が起こりました。私はテーブルの一番端で壁沿いの席だったのですが、椅子の足が隣の子の椅子に当たり壁が邪魔をして椅子を引くことが出来ません。皆座ってしまっているのに、私は引っかかって引き出すことが出来ない椅子をなんとか引っ張ろうと苦戦状態。


「ちょっと椅子どけてくれる?」が言えない。


困り果てているのに、誰も助けてくれない。その時はまるで自分が完全に無視されているような感覚になり、心の中では泣き始めていました。
なんとか座ることはできましたが、知らない言葉が飛び交う中での食事は、正直全く楽しむことが出来ませんでした。

 

昼休みになると、もちろん皆は運動場で遊んだり、教室でお話をしたりして過ごします。私はその時は何をしていたのか覚えていませんが、とにかく次の教室がわからずパニックになっていたのだけは覚えています。

 

もうすぐ昼休みが終わるという頃、必死になって辺りを見回し、同じクラスの子達を探しました。


一人、見つけることが出来、慌ててその子が入っていった教室へと駆け込みました。同じクラスの子たちがいるのを確認し、「ふぅ~」と一番後ろの席に着きました。

 

その時は音楽の授業でした。
そして皆が歌い始めたのは「エーデルワイズ」の曲でした。

 

私は、それを聞いた途端にどっと涙が溢れてきてしまいました。

その曲は、日本を去る直前に日本の小学校の皆と音楽の授業に歌った曲だったからです。

 

それまで何とか耐えていた感情が、大爆発してしまいました。

 

涙が止まりませんでした。

 

(なんで私はこんなところにいるのだろう。
 なんでこんな思いしなくちゃいけないのだろう….)

 

先生が家に電話をしてくれて、母が迎えに来てくれました。

 

私が通っていた学校は、親の送迎が必須でした。バスもなければ、遠い場所から皆来ていたので、親が車で送迎をします。

 

母は心配そうに「どうしたの?」と聞いてくれましたが、
私はただただ「日本に帰りたい」を連発していたと思います。

 

そうして、私の苦痛な学校生活が始まったのでした。

 

最終的目的地に着いた私たちを空港の出口で迎えてくれたのは、優しそうな雰囲気の男性Mさん。

父の会社の人で同じく駐在として来ていた人。

 

「こんばんは~。疲れたでしょう。」

 

気さくな感じのMさんは、私達のために中華料理店に予約を取ってくれていて、私たちを連れて行ってくれました。


ここでまた初体験。本格中華料理店では大きな丸いテーブルに座り、

テーブル中央にある回転プレートの上に様々な料理が並べられていて、

欲しい料理を手間に来るまでくるりと回るのだ。


子供ながらにこのシステムは面白いと感じたのでしょう、当時の風景を未だに覚えています。
初めての北京ダック、ふかひれスープなども体験させていただきました。

 

と、美味しく料理をいただいていると、強い眠気が…


飛行機ではほとんど寝ていなかったし、言ってみれば徹夜状態です。
子供にしたら、なかなかハード。
気が付けば、食事をしながらコックリコックリしている自分がいました。

 

眠気と戦いながら、レストランを去り、これからの数年間お世話になる新しい我が家へと車で向かいました。
到着したのはレンガ調のいかにもイギリスらしい一軒家。
庭がとにかく、広い。周りの家を見渡しても皆庭が広い。
家の中に入ると、すべてカーペット張りでしたが、

やはりここは日本人なので靴を脱いでスリッパに履き替えるというスタイル。
家具付きの賃貸でしたので、すべて揃っていました。

 

新しい自分の部屋にも興奮気味でした。


ここで暮らすんだなぁ。

 

と呑気に考えながら、その日はすぐに眠りについたのでした。