そりゃーもー「義」がなくなったカラでせう。。
公(おおやけ)=お上が、
「公僕」でなければならない「治世」原則は、
時代や制度にかかわらず、
「義」であるべきなのだが、
「公」の歴史学的事実は常々「不義密通」であった、
ので、
「義」は「賊」とされつつ、
つまり、
「もっとオトナになりなよ」と、
「コドモ扱い」されつつ、
青いなーと、
硬いなーと、
未熟扱いを受けつつ、
狡賢さがこそ「成人」の条件と、
相対多数のズルガシコが万円じゃねー蔓延しつつ、
で、
ズルでも「賢い」ならばそれなりに評価しうるが、
だーいたいがやなー、
ズルなヤツは賢くない、
ってーのがわが100%経験なので、
ズルと賢さは絶対的背反要素とイエル・・
で、
江戸の町では、
ねずみ小僧を「尋ね人」と・・??
卯三郎は、
たとえ知っていても、
「公儀」には絶対に知らせないと思われマス。。
ただし、
「義は賊」だが、
「賊は義ではない」
とゆー必要十分条件の誤差を、
卯三郎は「知識」ではなく「感覚」として知ったよーでおます。。
いじょーはあくまで、
本人へは未確認の保護者の解説解釈どす。
また・・。
