6/8(土)の定期通院の話は後日改めて書きたいと思います。
今回は順不同になりますが、パルフェの事を先に書きたいとおもいます。
■ パルフェ
パルフェが昨晩(6/13の夜)以降ごはんを食べていない。
気づいたのは6/14(金) の朝ごはんをあげる時で、13(木) までは元気で、食欲も旺盛だったのに。
ケージの隅で、何かを耐えるように丸くなっている。
時折様子を見ながら様子を見たりお腹を温めたりしたが、調子は一向に上がる様子がない。
表情を見るに、辛そうであることから、夕方に病院へ行くことを決める。
この日はかかりついけ医が外来担当に表示されず不在であると思ったため、おそらく典型的な鬱滞の症状であると考え、サブの病院として使えるかを評価する目的も兼ねて、近くのモリヤ動物病院に初めて通院することにした。
病院へは18時30分、閉院ギリギリに間に合った。
様子を見せ、まずはレントゲンを撮影したところ、胃部がものすごく膨張しており、人間で例えると、まるで妊婦であるかのような大きさで風船をめいいっぱい膨らませた状態であると言われる。
典型的な鬱滞の症状である、と診断された。
対策としてステロイドと、胃を活性化させる薬を注射をした。
とにかく胃を動かして、胃の内容物を腸に送り出すことが必要であると言われる。
かかりつけ医のところでは、腸が詰まっていて動かないときは胃を活性化させるよりも先に緩和させる手法を取るため、やんわりと聞いてみたが、「これが標準の対処方法です」と言われた。
同時に水分が不足していることから点滴を行う。
体温を計測したところ、36度5分程度で、本来は38度5分くらいあるべきのウサギの体温から考えれば低体温症と言ってもおかしくはない状態であった。
確かに耳を触るとひんやりとする。
先生から、低体温であるため、身体を温めてあげること、と指示される。
かなり病状が深刻であり、これから治療するまで毎日通院する必要がある、と言われた。
同時に、場合によっては覚悟が必要である可能性もある、とも。
ひとまず、パルフェを自宅に連れ帰り安静にさせてから、近くのカインズホームへ行ってヒーターを購入した。
夏場のヒーターを探すのは厳しかったが運良く一つだけあったが高かった。
モリヤ動物病院の診察から一夜が明けた6月15日の土曜日。
結局、あのあと、●もおしっこも出さず、当たり前のように何も食べなかった。
唯一、水だけは 50 cc ほど飲んでくれた。
ただ、明け方 6時前に様子を見たが、呼吸は極めて浅く、身体を触ればぐんにゃりとして力なく、そしてひんやりとしていた。
正直、かかりつけのシンシア動物病院まで持つのかどうか、それが不安になるレベルではあったが、何とか行きつけの動物病院で主治医に診てもらうまで、命を繋げられた。
後で先生から教えてもらったが、キャリーを開けてパルフェの様子を見たとき、これはまずい状態だと咄嗟に思われたそうだ。
まずはICU酸素室に入れ、痛み止めや栄養が入った点滴をうち、身体を温めて、少し容体が落ち着くのを待ってからレントゲンを撮影した。
結論から言えば、腸閉塞が発生していると見られた。
理由は不明であるが、食べなくなった一昨日の夜以降、胃から腸に内容物が流れず、胃で全てがとまっていて極めて大きく胃が膨張していた。
腸閉塞の原因は、例えば胃に毛が詰まったり、異物があったり、場合によっては腫瘍などができて腫瘍により腸管が圧迫されるケースなど様々考えられるが、本当の理由はお腹を開いてみないとわからない。
これにより、胃部周辺の血流が悪化し、腎臓が圧し潰されて腎不全の状態となっている。
そこで、チュービングという方法を取ることにした。
これは鼻から管を挿入し、胃の内容物のうち取れるものを吸引して胃部の負担を減らすもの。
これにより胃の圧迫を緩和し、胃周辺の血流を回復し、腎臓を圧力から解放する、という方法。
ただし、懸念点もあり、圧迫されていた腎臓が解放されることで一気に循環が開始し、溜まっていた尿毒素が全身を巡って急性腎不全の症状を発症する可能性がある。
しかし他に手段があるわけでもなく、これに一縷の望みをかけた。
ICU酸素室に入れて、体力の回復を待ちつつチュービングを行ってもらうと、施術中に突然体が痙攣しはじめるという現象が発生。
おそらくは急性腎不全のショック症状。
一時は危篤状態となったが、先生方の処置により何とか息を吹き返したそう。
なんでも、この痙攣の状態に陥って、そこから生き残る子はそうはいないそう。
おそらく、生きたいという意思の表れなのだろう、と。
無事にチュービングが完了すると、約150cc ほども胃液を出すことができた。
まだ胃腸には取り切れない固形物が残留し、腸閉塞の原因も解消したとは言えない状況。
また、腎臓も圧迫から解放されることで機能を取り戻せたのか、障害が残るのか、これも不明。
つまり、未だ危険な状況には変わりない。
それでも、まずは一山は越えられたんだ。
そんなパルフェはぐったりしてしまい、ICU酸素室で呼吸を安定させてもらっていた。
チュービング直後は採血をする余裕もないため、強心剤を使用して血圧が高まるのを待つ。
そうして時間をおいてからようやく取れた血液検査では、やはり腎臓、肝臓の数値が悪かった。
逆に、白血球の数がとても低い。
通常、体内に異状が発生した場合、白血球が増産され数値が上がるが、すでに出し尽くしてしまい、そして消費され尽くしてしまった場合、白血球の数は減ったままになる。今がその状態である。
すなわち、免疫力が極めて落ちている。
そんな状態だったが、主治医の先生はパルフェにジュースなどを与えたら飲んでくれるかを確認。
先生がシリンジでリンゴジュースをあげると頑張って飲もうとしていて、一口ほどのんだが、苦しそうでそれ以上はあげられなかったが、少しでも生きようと頑張ってくれていた。
この状態でICU酸素室にいるパルフェに面会させてもらった。
パルフェはICU酸素室に敷いて貰ったタオルの上でぐったりと横たわっていた。
自分で立つこともできない様子だ。
下にはヒーターを置いて貰い、掛布団がわりにタオルをかけてもらっていて、耳には点滴をしていた。
それでも今朝に比べれば随分と目に力が戻っており、呼吸も安定していた。
まだ、本当に大変なのはこれから。
そもそもの腸閉塞の原因が解消されたか分からず、解消されていないなら、場合によっては外科的措置が必要になるかもしれない。
また腎臓に障害が残る可能性も高く、おしっこが造られるかどうかもわからない。
急性腎不全のショック症状の後遺症が残る可能性も十分にある。
つまり、これからどの程度介護が必要になるか、という状態を見極めなくてはならない。
それでも、パルフェの目は、生きたいという力を感じさせた。
きっと、がんばって命を明日につないでくれる。そんな希望を期待させてくれる目だった。
明日からは、また手術とか、あるいは体力的に無理で内服治療と介護にうつるか、そういった治療は継続する。
そう思いつつ、それでも頑張ろうとするパルフェの頭を、身体をいっぱい撫でて、帰宅した。
その日の20時45分ごろ、主治医から電話があった。
容体が急変してしまい、パルフェが逝ってしまったことを告げられた。
それでも時折呼吸が乱れたり、足先が痙攣する様子を見せていたパルフェに、様子が不安定であることを懸念した先生が、少し残って様子を見てくれていたのだが、急に心停止が発生し、呼吸が止まってしまった。
強心剤を打ち血圧を強め、回復措置を行おうとしたが、蘇生術を行おうとしている傍から死後硬直が開始してしまい(3分後くらい)、手の施しようがなかったそうだ。
呼吸が停止し、2~3分後に死後硬直が始まるのは稀なケースであるようだった。
その後、病院よりも、家で過ごした方が良いでしょうと、夜遅くであるにも関わらず、先生たちはエンゼルケアをしてくれた上で家まで送ってくれた。
本当に先生には感謝しかない。
2024年6月15日、パルフェは虹の橋を渡った(享年7歳2ヶ月9日)。
その顔は、眠るように安らかだった。
15日に亡くなり、翌日すぐの火葬は気持ちとして受け入れられず、火葬は18日(火) のお昼に行うことにした。
18日(火)の当日、大雨警報が出ていてお昼に火葬を行うことは困難だったため、その日の18時に火葬を行うことになった。
6月6日にアステルが逝ってしまい、立て続けにパルフェが6月15日に亡くなってしまい、メンタル的にも、体力的にも堪えている。




