小学校4年生から、

岐阜の小学校に転校した。

一学年にたった1クラスしかない小さな学校だったので、

転校生のボクは珍しかったのだろう。


最初のうちは、

クラスメイトが積極的に話しかけてくれた。



「どこから来たん?」
 

「名古屋って都会やんな!」



その言葉が嬉しくて、

転校生という立場に不安を感じていた気持ちが一気に吹き飛んだ。



さらに、体育の授業でのドッジボール。

ボクは活躍した。

ボールを投げれば当たり、

相手のボールは軽々とキャッチする。



授業が終わると、

クラスメイトが駆け寄ってきた。
 

 

 

「お前、すげえな!」
 

「ドッジボール、うまっ!」



誇らしかった。

「この土地でも、ボクはやっていける。」
 

そう確信した。



それが、まさか地獄の始まりだったとは――。







次の日の休み時間。



校庭でみんながやっているドッジボールに参加しようと、

ボールを持っていた男子に声をかけた。
 

 

 

「仲間に入れて」



……返事がない。



「おーい、入れてくれない?」



それでも誰も目を合わせようとしない。



何かがおかしい。

違和感に気づいたときには、

すでに遅かった。



次の日から、

無視と嫌がらせが始まった。



思い返せば、

転校してきて直後のスポーツテスト。
 

 

 

50m走と走り幅跳びで、

クラスで一番になった。



そのとき、

ゴール後にクラスメイトが言った。

 

 


「あいつの走り方、ズルくね?」



冗談かと思っていたが、

内心ドキドキしていた。

 

 


今までクラスで一番走るのが早かったりと運動ができて、

クラスの中心にいた男子。
 

彼のプライドを傷つけてしまったのだ。



そして、

スポーツテスト後のドッジボールでの活躍が、

決定的な「トドメ」となった。



それからというもの、

ボクの毎日は地獄だった。



遊びの時間に輪に入ろうとしても、

誰も目を合わせてくれない。
 

 

 

体育の授業でボールをキャッチしても、

誰も声をかけてくれない。



ある日、

机の上に小さな紙切れが置かれていた。
 

 

 

そこには、

たった一言。



「きもい」



心臓がギュッと縮こまる。

やられるがまま、ただ泣くことしかできなかった。



慰めてくれる女子がいたけれど、

それすらも情けなくて、

余計に涙が出た。



目立つことは、

良いことじゃない。
 

目立つことで、

力を持っている誰かに目をつけられる。

ボクに負かされることで、

イヤな思いをする人がいて、

ボクもイヤな思いをさせられる。



小学校4年生、10歳になるかならないかの年頃で、

このことに気付いてしまった。

 

気付いたといより、

こう思い込んでしまったのだ。

 

小学生のボクは、

自信を持つことが怖くなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

この考え方は、

大人になっても心の奥底にこびりついたままだった。

ただ、

一つだけ思うことがある。

本当に悪かったのは、

目立つことだったのか?
 

 

 

10歳になるかならないかの年頃に感じたことが、

どこまで正しかったかは分からない。

 

それを大人になってからも同じ価値観で生きていくということは、

すごく恐ろしいことだ。

 

 

 

この恐ろしいことだと気付いたのは、

大人になって、認知科学的観点からのコーチングを受けたときだった。

 

 

 

40歳近くになるまで、

ずっとこの価値観で生きてきたことに驚いた。

 

 

 

はじめは、

もっと早く気付きたかったと思った。

 

 

 

だが、そうではない。

 

 

 

いま気付けて良かったのだ。

 

ネガティブな物事の受け取り方も変わることができた。

 

 

 

人はいつでも変わることができる。

 

幼い頃の経験が根深いことが、無自覚に自分の人生に影響を与えていることが多い。

 

ここを知るだけでも、人生を変えるきっかけになるだろう。