名古屋から岐阜の田舎町に引っ越して、

驚きの連続だった。

特に転校先の小学校は、

想像を超える世界だった。

名古屋では、

同学年に6クラス。


1年生から6年生まで1,000人以上の児童がいるマンモス校だった。



それが、

岐阜の小学校では、

たった1クラス。
 

全校児童合わせても

200人ちょっとしかいない。



「えっ……1クラスしかないの?」



転校初日、

教室に入った瞬間、

ボクは戸惑った。



名古屋では、

毎年クラス替えがあったから、

新しい友達と出会うのが当たり前だった。

 

 


でも、

ここでは6年間ずっと同じメンバー。



それだけじゃない。



「サッカー部に入りたいんだけど」



そう親に聞いたとき、

返ってきた言葉は衝撃的だった。



「ここは野球しかなからしいぞ」



スポーツをしたいと思っても、

選択肢がないのだ。



名古屋の小学校では、

4年生からクラブ活動があり、

サッカーだけでなくバスケや卓球、

剣道などいろいろ選べた。
 

でも、岐阜では野球一択。



「こんなに違うのか……」



名古屋では

当たり前だったことが、

岐阜では当たり前ではない。

この環境の違いに、

不安を感じたのは事実だった。
 

 

 

でも、

それ以上に、

不思議なことにワクワクしていた。



理由はよく分からなかった。



ただ、

新しい生活、新しい体験。

 

そのすべてが未知のもので、

胸の奥がざわざわした。
 

まるで、

新しい冒険の始まりみたいだった。



子どもの頃は、

初めての経験が多いから不安に感じることが多いはず。


でも、

それ以上にワクワクの方が強かった気がする。



ところが、

大人になった今、

そのワクワク感はどこへ行ったのだろう?



大人になるにつれ、

知識や経験が増え、

未来がある程度予測できるようになった。
 

 

 

「この仕事を続ければ、

こういうキャリアになる」
 

「この生活を続ければ、

こういう未来が待っている」
 

 

 

そんなふうに、

先が見えてしまう。



子どもの頃のように、

「未知」に飛び込む機会が減ったからかもしれない。



ボクも、

かつては「早く大人になりたい」と思っていた。



夜ふかししても怒られない。
 

食べたいものが買える。
 

欲しいものも自由に手に入る。



「大人って、いいなぁ」



そう思っていた。



でも、

大人になってみると、

お金が自由をもたらすわけではないことを知った。
 

 

 

社会にはルールがあり、

制約がある。



そもそも、

自分自身が自分にルールを課してしまっていたりする。

これは、

自分自身でも気付いていなかったりする。



気づけば、

ワクワクよりも、

予測可能な未来を淡々とこなしている自分がいた。



でも、

だからこそ思う。



このまま、

子どもの頃のワクワクを忘れたまま生きるのか?



そうじゃない。



今では、

自分のやりたいことに関わる仕事ができている。
 

 

 

ここまで来るのに、

社会に出てから20年かかった。



それでも、

今また、

あの頃のワクワクを少しずつ取り戻している。



きっと、

大人になってもワクワクすることはできる。
 

 

 

新しいことを始める。
 

知らない場所に行く。
 

未知の世界に飛び込む。



子どもの頃のように、

ワクワクする人生を送り続けたい。



次回は、

この岐阜の小学校生活の話。
 

 

 

ここで、

人生で初めて「イジメ」を経験することになる――。