「死んだらどうなるの?どこにいくの?」

幼い頃、この問いを抱きながら、煙突から立ち上る煙を見上げた記憶がある。

ボクには“おじいちゃん”と呼べる人は一人しかいなかった。
母方の祖父は母が幼い頃に亡くなってしまって会ったことがなかったので、父方の祖父だけがボクにとっての“おじいちゃん”だった。

おじいちゃんは、メリーという犬を飼っていて、とても可愛がっていた。でも、ボクが3歳のとき、メリーは寿命で亡くなった。

まだ幼いボクにとって「死んでしまう」という事実は、とてもショッキングなものだった。

それから間もなくして、おじいちゃんも亡くなり、さらにその現実に打ちのめされた。

死んだらどうなるんだろう。どこに行くんだろう。寂しくないのだろうか。そんな疑問を抱きながら、家族や親戚と一緒に葬儀に参加した。

火葬場で煙突から立ち上る煙を見上げていると、親戚のお姉さんがこう言った。

「おじいちゃんはメリーがいるところにいったとよ。天国で会えるけん寂しくなかとよ」

あの煙がおじいちゃんなのかな。天国で会えるなら寂しくないのかな。

そう思おうとしたけど、

「自分が死ぬまで会えない」

という事実に、複雑な気持ちを抱えていた。

そしてボクは大人になり、子供を持った今、同じ問いが自分に降りかかった。我が子に“死”をどう伝えるべきなのか。

最近、母方の祖母が亡くなった。

7歳の長女は涙を流しながら「もっと一緒に遊びたかった」と言っていた。
5歳の次女はまだピンと来ていない様子で、不思議そうにしていた。

親として、自分が経験していないことをどう伝えるべきか。その難しさを痛感している。

でも、たとえ完璧に伝えられなくても、「天国でまた会える」という言葉に込めた希望が、子どもたちに何かを残してくれると信じている。