1982年、長崎大水害に遭った。
ボクは当時1歳2ヶ月。
ほとんど記憶にはないが、
後に聞いた家族の話から、
その時の状況が
少しずつ浮かび上がってきた。
長崎県時津町の近くでは、
今でも日本の時間雨量歴代最高記録として残る
豪雨が降り注いだ日だった。
窓の外を見れば、
まるで滝のように降る雨が川を越え、
家々を飲み込んでいったという。
雲仙から来ていた祖母、
そして父と母とボクの4人は、
親戚が住むアパートの2階に
避難させてもらうことで何とか助かった。
この出来事を語ると、
簡単な避難劇のように聞こえるかもしれない。
しかし、実際は混乱と緊張に満ちていた。
父は祖母を駅に送る予定があり、
仕事から急いで帰宅していた。
それが幸いし、
家族を守るための迅速な判断ができたのだ。
帰宅途中、次々と運行停止になるバスを見て、
事態の深刻さに気付いた父は、
泥だらけの靴で家に駆け込んだと母が語っていた。
一方、母はいつものように晩御飯の準備をしていた。
その時、足元に冷たい水が広がり始めたのに気付き、
外を見て驚愕したという。
庭の水たまりはあっという間に濁流と化し、
アパートの1階にあるボクの家は浸水していた。
大雨がやんだあとは、畳も床もびしょ濡れになり、
後の片付けは想像を絶するものだったそうだ。
親戚の助けと父母の決断力、
そして運に恵まれ、
ボクたちは無事だった。
誰も怪我をせず、
命を守ることができた。
ただ、それを知るのは後年になってからで、
幼いボクはほとんど覚えていない。
幼少期の記憶は曖昧だ。
親から褒められなかった、
厳しかった、
欲しいものを買ってもらえなかった、
遊んでもらえなかった——
そう感じていた時期もある。
でも、こうして振り返ると、
気付かされることがある。
ボクが覚えていない頃にも、
親はボクを守るために命を懸け、
愛情を注いでくれていたのだと。
親は、社会の教科書にも載るような災害の中で
ボクの命を守り、
そして大人になるまで育ててくれた。
それだけで、十分すぎるほどの愛情を注いでくれている。
ボクは幼い頃に気付けなかったが、
今ははっきりと分かる。
どんな形であれ、
親の愛は確かにそこにあったのだ。

