5歳のボクは、
公園の長い側溝で
拾ったダンボールを使って滑る遊びに夢中だった。
その日も友達3人と
繰り返し滑り降りては笑い合っていた。
そんなとき、
60代くらいの知らないオジサンが現れた。
「こんなところで遊んでたら危ないだろう!」
「親はどこにいるんだ!親はどんな教育してるんだ!」
突然の剣幕にボクは驚き、
何も言い返せなかった。
オジサンの鋭い言葉が胸に刺さる中、
親を悪く言われた悲しさがこみ上げてきた。
気づけば涙が止まらなくなり、
ボクはただ泣くだけだった。
それを見たオジサンはますます苛立っているように見えたけれど、
最終的には何か言い残して去っていった。
友達2人は少し離れたところで心配そうに見守っていたが、
誰も声をかけることはなかった。
泣きながら家に帰る途中、
親を責められたことへの悲しさと、
自分の行動が危ない遊びだったかもしれないという
反省が入り混じり、
胸が苦しかった。
あの頃は、
知らない大人が他人の子どもを叱ることがよくあった。
怖い思いもしたけれど、
大人たちがみんなで子どもを見守ってくれているという
安心感があったように思う。
今、ボクは子どもを3人育てているが、
彼らを子どもだけで外に遊びに行かせたことはない。
時代の違いか、
住む場所の違いか。
それでも、
ボクの幼少期には、
親だけではない大人たちの目が確かに存在していた。
あのオジサンがボクたちを叱った本当の意図は分からない。
ただ、
あの時代の
「大人が協力して子どもを見守る」
という文化が、
今の時代にも少しでも残っていればいいなと願う。

