悪性リンパ腫の経過観察で、年に一度はT大学病院で検査を受けていた母ですが、予後は問題なく過ごしていました。

念願だったスイス旅行に父と行ったりして、元気そのもので安心したものです。

 

そんな2019年の10月、父の闘病中に母の体に異変が起こりました。

朝、起きたら、歩きづらい。

ということで、急遽、私が実家に行って母を整形外科に連れて行きました。手を引くほどではないけれど、確かに歩きづらそうで、かかりつけの整形外科だったのですぐにレントゲンを撮ったのですが異常なし。

この時、私も気付けば良かったのですが、少し呂律がおかしかった、ような、気がします。あくまでも今思えば、なのですが。

ゆっくり休むように伝えて、その日、父が「おかしい」と思ったらしく、翌日に総合病院に行くと、即座に脳神経外科に回され、その時の血圧が190オーバー。

即入院、となりました。

私も仕事を早退して駆けつけたのですが、その時点では、ICUに入っていて、担当医のY先生から「脳幹に出血が見られる」

 

え?!

母は、高血圧でもないですし、なんなら少し血圧は低い方で、体型も痩せ型です。 T大学病院での血液検査も中性脂肪が少し引っかかる程度。

詳しい検査は、これから数日かけてする、とのことで、闘病中の父も「え?」でしたし、私も「え?」

でした。

 

翌日、入院手続き諸々で病院へ行くと、既にリハビリが始まっていて(歩行はしなかったですが)、療法士さんが強面で口調もちょっときつい。 てか、敬語くらい使いなさいよ、と(思っただけで口に出してはいない)

父の末期がんと、降って湧いた母の病気で私もかなりやさぐれていたのだと思います。

「私は大丈夫よ、ごめんね」

この時、母の呂律がおかしいことにはっきりと気づきました。

 

血液検査、MRI、CTと検査をして、

「海綿状脳幹血種」という診断が下りました。 セカンドオピニオンもうっすらとよぎりましたが、Y総合病院は古いけれど脳神経外科では地域では評判の良い病院で、父も「あそこで診てもらえ」と言うので、その診断を受け入れます。

 

Y先生からの説明によると、

〇海綿状血管腫はどこにでも起こりえるもので持っていても殆ど出血に至らない場合が多い。

〇ただし、母の場合は場所が悪く脳幹なので、再出血率が高いのと、どこかしらに後遺症が出る場合がある(それも高い可能性で)

〇出血を抑える薬を入れているので、リハビリをしながら出血を止め、そのあとはリハビリ病院に転院してリハビリをしてもらいたい

〇高血圧でもなく、血液検査でも少し高脂血がみられるけれど、この血管腫は先天性のものと考えられる

 

とのことでした。

10月の上旬だったのですが、なんといっても父は十二指腸乳頭部がんの末期で闘病中。 母は「リハビリに通うから」と約束をして出血が収まった3週間後に退院してきてしまいました(;' ∀')

 

調べましたよ、なんでよりにもよって0.1%の割合で発生する出血を起こしたのか。とはいえ病気は仕方の無いことです。

我が家は、健康には過度ではありませんが気を遣っている家庭です。

父も十二指腸乳頭部がんになる前は健康そのもの。

母も悪性リンパ腫後は定期健診にも行き、健康そのもの。

食生活だって、お惣菜とかはあまり好きではないし、和食中心のヘルシーさ。 あの時は、なんで両親ばかりって思ったものです。

 

10月末から12月の間は母も父の看病で大変だったと思います。むしろ、父のことが心配で無理を言って退院してしまったので(;´Д`A ```

 

12月の2週目。

Y総合病院から連絡がありました。母の再出血です。

その日、リハビリに向かおうと送迎バスの停留所に向かっていた母が、交差点で転倒し、そのまま立てなくなってしまって、通行人が救急車を要請してくれたとのこと。

飛んで行ったところ、カバンの中には枯れ葉がたくさん。

コンクリートではなく、植え込みに倒れ込んだらしく、Y先生も「コンクリだったら危なかった」と仰っていました。

再度、ICUへ。

この再出血で、左手、左足、構音に明らかな障害が出ました。

 

「今度ばかりは、こちらが良いというまで入院していただきます。そしてリハビリ病院へも入院していただきます」

はい、そうですよね。

 

 

このことは、「父のこと3」の中にも書いてあります。

 

母には

〇父はショートステイに行ってもらうこと

〇そのショートステイは個室で、ホテルのシングル部屋くらいの大きさだということ(写真を見せた)

〇私の家から20分ほどなので気にしないで「自分のこと」を考えてほしいこと

 

げっそりと痩せた娘に向かって、母も今回ばかりは先生と私の言うことを聞く気になってくれたのが幸いです。

 

母の担当のY先生はとってもエネルギッシュで、しょっちゅう術着を着ていらっしゃいます。話しやすくて明るくて、ハッキリと説明をし、それでいてハートフルな方で、私はこの先生でよかったなぁ、と思ったものです。


Y総合病院のソーシャルワーカーさんにもお世話になりました。まず、父に既にケアマネさんがついているのでそこで母の「要介護」を申請する手はずをとってくれました。あと、療法士さんの乱暴な物言いがちょっとだけ気になります、と伝えました。

その後、すこーしだけ言い方が柔らかくなったようです。

 

だってさ。

「〇〇さん(母の名)、右手上げて」

母、うっかり左手を上げる

「あのさ、右手だって言ってるじゃん」(&鼻で笑う)

とか

「そうじゃないって、そっちじゃない!」

とか。
 

そりゃないでしょうよ。担当医と看護師さんがみんな感じの良い人ばかりだったので、余計目についてしまった。あと他の療法士さんは優しかった

°・(ノД`)・°・

 

脳幹は、どこに障害が出るのが分からないのがとても厄介です。

母は手と足、構音に出ました。

しかし、これが呼吸器官に出たりすると大問題なのだそうです。

 

2019年は、母は病院で年を越しました。

急性期60日ルールがあり、1月の末までにはリハビリ病院への転院を目指すことになりました。

この病院の選択は私がしています。

 

〇実家からバスで行けるS病院

〇実家からバスと徒歩で行けるA病院

〇実家からバスと電車で乗り継ぐところ

 

結果的にA病院にしました。理由は、「院内が明るかった」から。はい、それのみです(笑)

そして2020年になりました。