「好意の反対、つまり悪意が憎しみだ」なら正しい。 好意が愛の表れに他ならないからだ
何故なら 愛とは「実存と実存との熱い交わり」と定義されるからである
その必要条件のひとつは「人格的尊厳が認められている」と云うことで有るはずだ
相手が尊厳されるべき人格を持った存在であることを認めた上での肯定的或いは反発的感情、それが好意或いは悪意(憎しみ)なのである
しかるに、愛の反対は「実存と実存との交わりが断絶された状態」なのだ。それすなわち「孤独」である
孤独とは相手の人格的尊厳をまったく考慮せず、実存と実存との冷たい断絶状態であり、それは物として捉えた対象への執着ないし無関心なのだ
この様に定義すれば「可愛さ余って憎さ百倍」と云う感情変化に直面しても、我々はさも有りな出来事として受け入れられる筈である
誤解してはならぬが、僕は憎しみが善だ!と云っているのではない
憎しみを知らずして愛を語るなかれ!と云いたいのだ
「悪魔の孤独」に陥った者は人を憎むことすら出来ないのだから
この地獄は経験したものでないと解らないものである…………………
「喧嘩するほど仲がよい」「嫌よ嫌よも好きのうち」昔の人はよく理解していたのだろう
娘との喧嘩も 仲がいい故なのだと理解しよう…
ただ…僕の課題は如何にして冷静に己の想いを相手に伝えるかである…これが僕にとっては非常に困難である…だが挑まねばならん…真実の己を見つけるために…
悪魔よ…僕はお前のいいなりには断じてならん…
ならんからな…
俺は正しいことゆーてるのに…間違ったことひとつもゆーてないのに…ただ感情的になったら 皆には悪役に映るんやね
って…そう…娘やからや…な… 誰が他人の子どもに怒鳴るかい…ん�文面にしたら、なんか冷静になってきた




…
vs



