現実ではありえないほど流暢に、的確な言葉を連ねる自分という夢を何度も見た。喋るという動作に近づいてきたか。
歩いても歩いても(是枝裕和)
トウキョウソナタ(黒沢清)
イントゥ・ザ・ワイルド(ショーン・ペン)
たそがれ(いまおかしんじ)
悪夢探偵2(塚本晋也)
接吻(万田邦敏)
ノーカントリー(ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン)
闇の子供たち(阪本順治)
ぐるりのこと(橋口亮輔)
休暇(門井肇)
不知火検校(森一生)テレビにて
この窓は君のもの(古厩智之)テレビにて
毎年、監督の顔ぶれが代わり映えしない。偏見もあるのだろう。黒沢清やいまおかしんじは、新作があれば僕の中で常にランクインするのであろう。「接吻」「休暇」は掘り出し物だった。設定の妙である。人間と死刑に対する角度が興味深い。「悪夢探偵2」は前作をしのぐ。「トウキョウソナタ」にもいえることだが、日常に潜む恐怖というより日常そのものが恐怖のような、ある種の性悪説に僕は共感したのかもしらん。全くもって過不足がない「イントゥ・ザ・ワイルド」、いつものごとく完成度の高い「ノーカントリー」以外の洋画が今年は響かなかった。そして1番は「歩いても歩いても」。1泊2日、実家、家族というミニマリズムに、皆が善人ではなくそれでいて皆が優しいという人間像が丹念に描かれていた。映画を見続けようと思ったのだった。
炊き出しがおこなわれている公園で路上ライブをやると、ジャンベ繋がりの友人から聞いてそれに参加。1度も音合わせをせず、ぶっつけ本番でやるのは不安だった。そして的中する。
厳しい状況下に置かれている人たちの野次は辛らつで、それでも良いパフォーマンスを見せられたなら前を向いて披露できたが、あまりに荒削りな演奏では顔を見られない。音源に合わせてダンサーが踊り、ジャンベやドゥンドゥンはその既成の曲にリズムをつける。しかしスピーカーからの音が小さすぎて聞き取れず、寄せ集めの我々は如何ともしがたいアンサンブルを見せることになった。もし次回、機会があればもっと良い音を出したい。
寒空の中、列をなす人々は僕にとってひとごとではなく、自分を重ね合わした。将来は、それは明るいといえない。最後に僕も炊き出しをごちそうになった。箸を持つ手に冷たい風が刺さる。暖かい飯はそれでも即効性があった。