3拍子で裏打ちのリズム、ガランケドンは難しい。1拍半のゴースト、長い間がとり辛い。裏をとっているつもりが、気を抜くと表に回っている。

低×高××高××高××高低×高中中高中中高××高

レゲエなどに顕著である、ブラックミュージックの裏は、聞き慣れていないだけに体が反応しない。ある程度になるまで時間がかかりそうだ。

これほどまでに寒さがこたえるのは年齢のせいもあるのだろうか。春が待ち遠しい。ブンレツさんが僕に電気式毛布をくれた。彼女が愛用しているものよりも機能は落ちるが、これは優れものだった。布団に入る3時間前、スイッチを入れる。これを忘れた夜は辛い。寒さと、体の機能の退化を肌で感じる。

ターミナル的な駅で電車は長いこと停車していた。ホームは賑わっているが車内は空いていて、僕は座席にて、流れる人並みを見ていた。細身の、白いコートに黄緑のニットと同色のハンドバッグを持った女性が目についた。30代の半ばから後半だろうか。その後ろを歩く40歳前後の男性は、白のレザーのジャケットに黄緑のシャツをあわせている。これは確実に連れだろう。

男性のほうが立ち止まり、ホームにある駅の案内図を見て立ち止まった。そして前の女性を呼び止める。振り向きざま、眉間にしわを寄せた。声は聞こえないが、彼の口ぶりからして穏やかさはうかがえない。おそらく現在二人は険悪なムードに違いない。お揃いの格好にもかかわらずピリピリした雰囲気をかもし出しているというのは滑稽であることを知った。シチュエーションコントに使えそう。

電車のつり革につかまって立っていた。駅に着いて客の乗り降りがあり、しばらく止まっている。ホームを歩いている老人を眺める。着ているジャージの背中に「え」と書かれていた。右半分しか見えない。歩みの遅い老人の背中が全部見えるまで、電車は発車してくれるなと願いながら老人を見守った。全面が露になり、明朝体の「萌え」を背負っていることを確認して、その駅をあとにした。
マフラーが上手に巻けない。ネクタイと同様にまず左右の長さで苦労する。丈が中途半端に余り、靴のひもを結ぶ時など、垂れてきていらつく。グズグズだったり、きつすぎて妙なバランスだったり、ようやく及第点と思いきや裏地が表に回っていたり。良い具合に巻けた朝はナイス・デイである。週に1度あるかないか。
ブンレツさんは携帯のメールの打ち方を覚えた。スーパーでの買い物リストが送られてくる。面倒なことには変わりないらしく、いまだに代筆を頼まれるが、それでも飛躍的な進歩だ。とりあえず「4十分」などの、アラビア数字と漢数字が混じるのをやめてほしい。こういう統一されていないことに僕はいら立ちを覚えるタイプ。
11月に風邪を引いたのは、冷たい風が吹きすさぶ日に自転車を遠出したことが原因だった。年を越す前にはおさまったが、完全には治りきらない状況でそれからというものは自転車に乗って1駅分以上走っては喉を悪くする。

言い換えれば、自転車に乗ると風邪を引く。そういえば、この冬は異様に寒く感じる。聞けば、例年通りの気温らしい。どうすれば、この虚弱体質を治すことができるのだろうか。
落日 チェックアウトは常に寂しい。片付け(をしてるふりをして)が終わって家の鍵をフロントに渡す。修善寺をそのまま後にしようとするはずが、独鈷の湯へ寄ることになった。足を浸けているだけなのに体も温まる。そういえばここは2年前に来たばかりだ。

伊東に移り、伊豆ぐらんぱる公園へ。小規模の遊園地といったところか。トランポリンではしゃいだ。ものの5分でくたびれる。原始的な遊技ほど燃えた。

帰る頃には疲労困憊で運転を半分任せた。パーキングのようなところで土産を物色し、試食を一通り吟味して、何も買わない。カメラを持ってこなかったことをこの時に思い出した。