鼻の記憶タイフェスティバルへ。ジャンベを持たずに代々木公園へ行くのは僕にとってはめずらしいこと。現地に着く手前からナンプラーの香りがする。タイでの記憶がよみがえる。出店はほとんどが食物関係で、メニューもどの店を見てもほとんど同じ。飯もの、果物、揚げもの、どれもおいしかった。 その足で普段はジャンベを叩くところへ行く。他人がジャンベをやっているのを見るのはやはり手がうずく。
頭が大きく偏頭痛現在、先発投手の中で最も安定感のある吉見で試合を落とす。この時期からゲーム差を気にするのはナンセンスであるが、阪神より先に調子が下降線になったことは具合がよろしくない。先発投手は足りているのに中継ぎが駒不足という頭でっかちの布陣が引っかかる。打線に目を移しても右打者ばかりの偏りが相手からすると攻略しやすいかも知らんとか、弱気になりがち。
言い訳三昧渋谷ROCK WESTで3度目の出演。今回は上手いこといかなかった。自分自身のコンディションが悪かったこと、一緒に叩いたパートナーとの呼吸がずれたこと、DJの選曲もしくはBPMがジャンベと融合しなかったこと。様々な原因があるが、要は僕の力量不足である。未熟さを痛感した。友人が来てくれたにもかかわらずこの体たらくで申し訳ない。
打てずとも効率打てない。朝倉の見殺しは予定調和に思えてくる。点が入る予感がせず、延長戦に入ってからは引き分けに持ち込めるように願っていた。レギュラー陣以外の打撃成績が無残であることが大きく関与しているだろうか。代打に望みを託せない。立浪、井上が切り札になることと、李をスタメンから引きずり降ろす外野手が台頭することを、願ってやまない。
青、橙、黒毎年5月5日におこなわれる日比谷野外音楽堂でのROVOのイベントに行くのは実に4年ぶりだった。毎年行きたいと思いながらもスケジュールが合わなかった。途中、雨に降られたがそれでも気温はベストで、空が青いうちから暮れるまでの模様の下、存分に踊る。色が移り変わる様子は幻想的ですらあった。
ドマーニブンレツさんの誕生日を翌日に控え、ソウウツシニアのおごりで外食。彼女もついに還暦を迎えた。振舞おうとする彼の懐には年金がある。 この辺りでは割と有名な店だが、この日はフロアが回っていなかった。次の皿までの間があき、順番も逆だったり、違うメニューがきたり、しかしそれらは許そう。こういう時に3人の中で切れるのが最も早いブンレツさんの堪忍袋の緒は、僕らより後の客のテーブルへ先に皿が運ばれたことだった。デザートを待たずに席を立ち、家で紅茶を飲んだ。次に切れる僕は彼女の怒りをあおり、なだめるのがシニアの役目。
左脳人間ジャンベの教則本を買って、その写経もひと段落ついた。エクセルのファイルが相当に増えた。まずリズムごとにシートを分けて。それとは別に、ドゥンドゥン、サンバン、ケンケニ、ジャンベとパートごとに。3拍子、4拍子、似ているものを順に並べたり。インデックスも作ったり。プリントアウトした紙も厚みを増した。校正して間違いを見つけては刷りなおす。元々は楽譜を使わず、体で覚えるアフリカンリズムを対極からアプローチする。それが理屈っぽい僕のやり方だ。