オーストリアの女流作家エルフリーデ・イエルニク氏がノーベル文学賞を受賞した。

映画化された著作「ピアニスト」は、ある事情で場面場面だけを見た。イザベル・ユペールの迫真の演技に圧倒されたが、不快で全部見る気にはなれなかった。本作はイエルニク氏の私小説のようで、精神を患っていてかなりキている。あんなことを暴露するなんて、相当な神経の持ち主なのだろう。というよりも異常だからこそ成せる業なのか。いや、何をもって異常か正常かなんて線引きはできないが。ちなみに「最も有名かつ最も嫌われている女性作家」らしい。せっかくなので小説だけでも読んでみようか知らん。

エルフリーデ・イェリネク
ピアニスト
ボケは怖い反面、客観的にみると面白くもある。ブンレツグランマは数年前に脳の血管が切れたのだが、それからというもの退化が見受けられるようになった。元来が利己的な人で、それがあからさまに表へ出るようになった。我慢ができない。人に良く見られたい、良くしてもらいたいという表情・行動が目立つ。それでいて口は未だに達者で「できる人間」然とした発言をする。言動が一致しないのでイライラさせられるが、そのギャップは時として非常に興味深い。長年生きたことで培われた知恵や経験値を披露しつつ、駄々っ子のような一面も見せる。人間は均等に衰えていくのではないことを知った。ブンレツグランマの場合は老いてなお強まる自己顕示欲。自分が老いたときはまず何が衰えるのだろう。
夜中にケーブルテレビで放映していた「ひかりのまち」を、睡眠薬を飲んでから見た。監督マイケル・ウィンターボトムの新作「CODE46」は周りで評判が良い。それもあって頑張って起きていたのだが、ラスト15分くらいで寝てしまった。

つまらないわけではなかった。なるほどミュージックビデオ出身の監督だけあって映像がスタイリッシュだ。荒くしたり早くしたり。夜のロンドンのストリートがネオンで光り輝いて、そこは現代のワンダーランドといった趣きをかもし出している。自立して別々に暮らす3姉妹とその両親の、それぞれの生活と悩み。群像劇は好きみたいだ。そしてやはり音楽。「CODE46」では予告の音楽でやられていた。「24アワー・パーティ・ピープル」で描かれているマッドチェスターの閃光には一時期どっぷり浸かっていた。両方とも未見だが。「ひかりのまち」で流れるシンプルなメロディラインは、夜のロンドンを端的に表現している。

「イン・ディス・ワールド」「ウェルカム・トゥ・サラエボ」…ウィンターボトム監督作品をいろいろチェックしたくなってきた。その前に「ひかりのまち」を最後まで見なければ。
久しぶりに晴れたので空を激写。白雲と青空だけでは普通だったので写真を加工した。どうなのだろう。それにしても写真は難しい。

秋の長雨は憂鬱になる。危ない。今日明日晴れるが、また天気はぐずつくらしい。ますます危ない。天候に気分が左右されやすいほう。

夜、三軒茶屋まで自転車で赴いてツタヤでビデオを2本借りる。雨だとなかなか乗れないので、ここぞとばかりに半ば無理やり出かけた。するとどうだろう、右足太ももが痛いではないか。ペダルをこぐまで気づかなかったが、なかなか痛い。覚えがないだけに怖い。
ブンレツさん(母)とブンレツグランマ(祖母)の家(世田谷)と、長年住んでいた実家であるソウウツシニア(父)の家(埼玉)を行き来するようになって4ヶ月が経つ。最近では何かと便が良い世田谷にいることが多い。ブンレツさんはブンレツグランマの介護に一日のほとんどを費やしている。そんな彼女はかなりストレスが溜まっている。今日はいろいろ溜め込んでいたものをヘルパーさんを挟んで吐露したようだ。僕の今の立場はモブノリオと酷似しているかもしれない。読破していないから何とも言えないが。ブンレツグランマはボケがだいぶ進行していることを知った。「夕飯を忘れる」という古典的ネタをよくかましている。ボケているため、注意・説教の類いがまるで聴かない。効かない。つまりブンレツさんは今まで余計な重荷を背負っていたことになる。ブンレツグランマに思いのたけをぶつけ、その様子を後で僕に言うことでだいぶストレスを緩和することが分かった。

僕としてはブンレツさんを助けたいという心情がある。そのためにできることは何でもしたい。ブンレツグランマの下の世話だって、意を決して手伝う、という心構え、の準備はしている。そういうことも加味して世田谷にいるのだが、どうも足を引っ張っているのではないかという気がしてならない。飯を食わしてもらい、洗濯もしてもらっている。できることといえば力仕事とパシリぐらいか。そんな生活を打破するために家事を覚えよう、いや覚えねば、明日から、と思った。
最近になってアメブロが田口ランディ系列だと知る。以前彼女のトーク会か何かのテープを聞いたことがあったが、相手の年輩の編集者にタメ口をたたいていた。著書は読んだことがない。これを機に読んでみようと一瞬思う。
ブログのタイトルが向井秀徳調だと感じる。狙ったわけではないのに。類い稀なるセンスを認めるが、とりたたてて好きでもないので、いかがなものか。
という2点から今後の本ブログを考える。
ジャグジーズ[トシクン][コウヤマ][マイコ]と旅行に出かける。夜中に温泉に入りたいということで、学生当時よく忍び込んでいた伊豆の露天風呂へ行く旅行を急遽決めた。前日の夜に車で出発し、未明に三島到着。思い出の場所をいろいろと巡る。全てが感慨深く、今の自分にとっては痛々しくもあった。西伊豆の温泉は当時と変わりなかった。ここには本当にお世話になった。沼津の漫画喫茶で仮眠をとり、これも定番だった港の定食屋で朝食をとる。勢いで注文したため大量に残した。その後、長泉に住む[トシクン]の彼女[カズミチャン]と合流、談笑する。昼過ぎに伊豆を出発し、家路についた。雨の運転は神経を使う。疲れているせいか集中力が無く危なっかしい。短い時間ながらも充実して楽しかったが、年齢的にこういう旅ができるのは残りわずかかと思うと少し寂しい。
先日、『ジャグジーズ』のメンツ4人で飲んだ。二日酔いで頭が痛い。そんなに飲んでいないはずなのに。酒の席でも携帯で中日の状況をチェックしていた。負けたことを知ってからは携帯をいじらなくなったが、山手線でヤクルトが負けたという情報を得てほくそ笑んだ。帰り際に[マイコ]がバースデーカードをくれた。感動した。友人には恵まれている。

仕事が忙しくてスポーツニュースすら見れなかったり、ストでゴタゴタがあったりしたため優勝の実感がわかない。それでもやはり嬉しくてスポーツ紙を全部買った。トーチュウ、ニッカン、スポニチ、サンスポ、報知、デイリーで770円。あほだ。
2年前、[ウチシバクン]からリトルテンポのCDを借りた。ディレイがきいていて、パンが気持ちよかった。その時に思い出したのがジェーンズ・アディクションの曲「Jane Says」。遡ることさらに4年、僕はレッチリフリークだった。そんな繋がりでジェーンズのアルバム「Kettle Whistle」を購入したのだが、その中に「Jane Says」が入っていた。オルタナティブバンドだがこの曲はスティールパンが使われていて当時よく聞いていた。

で、今日、街中で「誰も知らない」のポスターを見て、ゴンチチ→「無能の人」リトルテンポ→スティールパン→「Jane Says」と繋がり、頭の中でThe Tuneが延々とループ。家に帰るや否や「Kettle Whistle」をオーディオにぶち込んで踊る。裸で踊る。踊るにはまだ暑い。それにしてもパンはなんでこんなにも心地良いのだろう。夏のイメージがあるが秋の夜長にもぴったりだ。

Jane's Addiction
Kettle Whistle
誕生日を迎え28になった。僕の一番好きな映画はアッバス・キアロスタミ監督作「そして人生は続く」だ。それがこの日、劇場でレイトショー公開されていた。いろいろなことがあって今年は散々だなんて思っていたが、誕生日にフェイバリット・ムービーがフィルムで見れたし、中日も優勝しそうだしこれでトントンかな。と、控えめな自分に酔う僕28歳もうすぐプー太郎。ということでBLOGを始めてみた。

キアロスタミの映画は大体において現実と虚構の境目がうやむやである。フィクションとドキュメンタリーの線引きはできないと言われていて、映画に限らずいろいろな事柄でボーダーラインが引き難い昨今、彼の映画はまさにタイムリーだと感じた。とはいっても「そして人生はつづく」は1992年の作品なのだが。これはジグザグ3部作の第2作で、1作目「友だちのうちはどこ?」の撮影現場が大地震に見舞われ、映画を見た親子がその被災地を訪れるという設定。出演者の会話が用意された台詞ではないように受け取れる。それだけに受け手へのメッセージ性が強い。でもキアロスタミ自身は「誰かにメッセージを伝えたいなら映画よりも手紙を書くことだ」だって。そりゃそうだ。家々は地震で瓦礫の山と化している。屋根がなくなり壁には日々が入っている家の窓から、それでも美しい緑の自然が広がっていて、荒れすさんだ風景から窓の向こうの緑の山へ焦点を絞る。ラストシーンでジグザグ道を登る人と車を退いて捉えるカメラは、映画が最大の娯楽である僕にとって至福の時を与えてくれた。豊かな自然の中でゆっくりとうごめく人もしくは車。それがゆっくりとフレームから出ていくまでをただ見つめる。

すばらしい誕生日だ。