今号のナンバーは浦和レッズ特集。

チャンピオンシップが終わる前に、結局優勝は逃したわけだが、文藝春秋はレッズ特集に踏みきった。勇気ある決断だと思う。強くそして魅せるサッカーに大応援団。「偉大なクラブ」とえらい誉れよう。

ナビスコカップ共々頂上を臨めなかったが、ファンとしてある程度の満足感がある。継続は難い。強さを維持するのは容易でないが、このパフォーマンスを継続してもらいたい。
アフリカの民族楽器でパチカというものがある。マラカスのようなもので、二つの球を紐で結んであり、指に挟んでシャカシャカと鳴らす。以前ライブパフォーマンスを見たことがあり、その妙技に興味を惹かれていた。

夕方、テクテクと歩いていると、この音が聞こえてきた。とあるカフェの前で、中越地震のチャリティーバザーをやっている。その中でパチカも売っており、店番の男が鳴らしていた。良い機会だからと買ってみたはいいが、いまいちやり方が分からない。レッスンビデオも買わなくてはならないのだろうか。使いこなせるのはいつになることやら。
中日暖冬、西武厳冬

激動のプロ野球界において、中日選手は軒並みアップの契約更改である。親会社のゴタゴタで西武は少し同情の余地がある。右肩上がりの傾向があるので、一律で選手の年俸をカットするなど、改革が必要かもしれない。

中日ドラゴンズは選手に優しい球団だ。プチ巨人と言われるだけはある。今年に限らず、優勝しなくてもそこそこの活躍で年俸が上がる選手が多い。その割にはドラフトで不人気なのだが。小金持ちをアピールするなり交渉でプレゼンするなりして、有望なアマチュアプレイヤーを獲得してもらいたい。

それにしても契約更改情報がこの時期のプロ野球の行事になっていることはおもしろい文化だ。人様の給料が話題に上がるなんて、日本くらいだろうか。アスリート個人の評価は確かに気になるところ。
初対面で「ゲイの人にモテそうですよね」と言われたことがあった。今日、再会したのだが、会話の途中で「でもゲイに人気がありそうなタイプですよね」と言われた。とりあえずツッコミをいれる。次に会ったときもまた言われるのだろうか。
ヒューマン・ビートボックスは人間の口だけでビートを刻み、楽器を兼ねる。最古・原始の音楽表現方法だろう。ヒューマン・ビートボクサー、AFRAのニューアルバムを購入した。富士ゼロックスのCMでテクニックを披露していた彼である。プロデューサーを務めたスコット・へレンの別名義プレヒューズ73の色合いが強く出た模様。ビョークの新アルバムもヒューマン・ビートボックスをフィーチャーしている。日の目を見るようになった。息遣いまで音を拾っているので非常に生々しい。そしてプレヒューズのカッティングが冴え渡っている。



アーティスト: AFRA
タイトル: DIGITAL BREATH
痴呆に対する恐怖がフツフツと沸きあがっている。体力・能力の低下、細胞の不活発が実に怖い。良い年のとり方というものもあるだろうが、基本的に衰えることには変わりない。その中で如何に受け入れられるか。ブンレツグランマと身近に接していると、言ってしまえば醜悪に向かう性格が、自分にも訪れるのかと思って落ち込む。長寿を望まないにしても、基本的に生への執着心は誰にでもあるだろう。なければ自ら決めればいいのだから。長い絶叫マシン。10余年前は終わりがないように感じられた。スリルを楽しむユーモアを。
耳掻きを失くして早一ヶ月。長年使い込んだことで柄が弱くなり、絶妙な弾力がきいて重宝していた。さがすのをやめたときみつかることもよくあるはなしではあるものの、諦めて新しいものを手に入れる。やはり硬い。そして一ヶ月分のアレが取れるかと心躍らせていたが、待ち望んだソレは小粒だった。それにしてもやはり、耳掻き・爪切り・毛切りハサミは手元にないと落ち着かない。
雨が上がると強い風と日差しが12月を感じさせない。ツーリンポ日和で出かける準備をする。準備の一環として「WMTDK」とハンドクラップする。ウォレット、モバイル、タバコ、デジカメ、キーケースを忘れないように。バッグを持たずにジーンズのポケットに全部詰め込んだら、パンパンに腫れ上がって滑稽だった。

自転車をプラプラ適当に走らせると下北沢に着いた。案外近い。これまた適当に入った店で緑のアウターが目に付いた。かわいい店員が薦める。「最後の一つなんですよ」屈託のない笑顔がまぶしい。緑系統のスニーカー、バッグ、Tシャツをそれぞれ複数持っている。正直もう緑の装着物はしばらくいいかなとよぎったが、なにしろ彼女が天気の話などとりとめのない話をしてまで和ませてくれる。ポケットからモゾモゾと財布を取り出して持ち金を確認した。足りる。レジに並ぶ。緑づくしでもいいではないか。

帰る前に電線だらけの東京の夕空を写真におさめようと、またモゾモゾしてデジカメを取り出すとバッテリーが入っておらず。鳴らない携帯電話と大して撮らないカメラはいちいち持ち歩く必要はないのだ。ポケットは寒いほうがいいのだ。思わぬ出費で寒い財布はいざ知らず。
K-1グランプリを見ていた。あまりおもしろくない。何かが気にくわない。考えた結果、それは藤原紀香の語彙の少なさだという結論に至った。あまりにも貧相で、格闘技ひいてはスポーツへの冒涜とさえ感じる。彼女が喋る度にカルシウムを削られる。試合自体もアドレナリンを分泌させなかった。もともと格闘技に明るくないので、どうしても派手な試合を期待してしまう。そうすると今回のようなやたら判定が多いトーナメントは、アナウンサーの絶叫と藤原紀香のあれが余計に寒々しい。これでこれからはK-1に時間を割くことがなくなったという発想のポジティブ・シンキング。
アンゲロプロスの映像はなにしろ美しい。1枚を切り取れば秀逸な写真になる。1ショット切り取れば稀有なCMになる。数分切り取れば良質なショートフィルムになる。上映時間は232分。驚異的な長さだ。基本的に長い映画は集中力が持たないので苦手である。ハシゴや二本立ては到底無理な体質だ。ビデオやDVDなら挫折するであろう映画を、アンゲロプロス監督の特集上映をしていたので見ないわけにはいかなかった。予想以上に混んでいる。今夏に催されたテオ・アンゲロプロス映画祭のパンフレットがあったが売り切れていた。

ギリシャ各地をまわる旅芸人の一座の群像と、彼らを通して軍事政権下のギリシャを綴る。アンゲロプロスといえば長回し。1シーン1ショットが多い。時間を含めた4次元の構成力に秀でている。カメラはデモ行進する群衆を捉え、ゆっくりとパンして芸人一座との合流をおさめる。広場を映すシーンも360度回転しながら絶妙のポジショニングを見せてくれた。全てが計算しつくされている。3人以上の人間を撮るときの、それぞれの立ち位置も素晴らしい。客観的な視点が映える。

曇天のギリシャは陰鬱だ。戦争に虐げられ、暗く影を落とした民衆の生活を如実にあらわしている。10数人で形成する芸人一座それぞれの人間像を描くには、4時間弱という上映時間は適当だと認識した。各々の関係やヒューマニズムをしかと受け止めることができた。