大阪在住の「有害ブログLv50
」まきすけさんが東京ぶらり一人旅を敢行中。オフ会が催された。自分で「現象です」と名乗る時がとても恥ずかしい。かといって本名を言っても通じないというもどかしさ。関西の人間はちょっとのどもり、つっかえを見逃さない。言い直そうとしても時すでに遅し「え、今なんて?」とくる。以下参加メンバー。
「走るのに疲れたら、歩けばいいじゃん!
」ishidaさん
「オヤバカ男の言いたい放題 ~ストレートすぎてスマソ~
」タイホナさん
「Tokyo Beautiful Days
」あらいさん
日本文化人のポジションから川崎と大久保の違いを教えてくれたけぐりさん
厚顔無恥、傍若無人、挙動不審、頭脳明晰のやくそ君
二次会の韓国カラオケ店で食べたサナギが印象的。何が印象的かというとツンデレで知られるまきすけさんが全く食べられなかったこと。味は小エビのようだった。今までブロガーの方とお会いしたことはあったが、純粋なオフ会は初めてだった。やくそ君以外は皆良い人たちで楽しかった。最も面白かったのはそのやくそ君だったわけだが、そんな彼と漫画喫茶で一夜を共にする。
食べたいものがあって近くの中華料理店に行った。カウンターに座る。店員の男女が言い争っているのかどうなのか、おそらく中国語だと思うのだが、とにかく日本語ではないので内容は分からない。ただ、激しい口調だった。メニューを見ているふりをして少しの間、様子をうかがった。女性のほうは日本語も流暢に話す。男性のほうは調理場から怒鳴られていたが、顔色は全く変えない。僕の予想としては、彼は最近日本に来て、古くからの友人だった彼女を頼って働き口も紹介してもらった、という感じだと思う。彼は彼女にだけ横柄な態度をとる。彼女は彼にだけ素っ気ない。
「チャーハンとギョーザ」あらかじめ決まっていたものの、あたかもたった今決めたかのように僕が大きな声でそう言うと、隣の中年男性がこちらを見た。僕はチラッとだけその彼を見ただけだったが、彼はまだ僕を見ている。何なら絡んでも構わないシチュエーションにもかかわらず、僕がそうしなかったのは、その中年のかぶっている帽子があまりに不恰好で、雰囲気も危ない人のような気がしてならなかったからだ。視線を感じながら、おそらく中国人のおそらく友人の男女を目で追った。
「はいチャーハンとギョーザてす」中国人(推定)の男がそう言ったので、僕はおしぼりやコップをどけた。しかし、そのチャーハンとギョーザは変な帽子の男の前に置かれた。全く同じメニューを頼んだ僕に親近感が沸いて、なるほどそれで見ていたのか知らん。ばつが悪そうに食べる変な帽子を、今度は僕が凝視する番である。どう食すのか見てやった。次、僕は違った要領で食べるために。
「チャーハンとギョーザおまちどうさまてした」日本に来て1年以上(推定)が経った彼女が、僕の前に置く。チャーハンとギョーザを交互に口へ運ぶ変な帽子に対して、僕は左手のレンゲでチャーハンをすくい、右手の箸でギョーザをつまんでしょう油、酢、ラー油に浸してからレンゲの上に乗せ、口に入れた。結果的に、新たな食べ方を身につけることとなった。
イギリスの監督や役者は舞台出身者が多く、土壌がしっかりしている印象がある。演出ジョン・マッデン、主演グウィネス・パルトロウで上演された舞台が、そのままに映画化された。この二人といえば「恋におちたシェイクスピア」で、まず間違いないだろうと疑うことなく鑑賞した。
父のロバートが死んでキャサリンは塞ぎこんでいる。天才数学者といわれていたが精神を病み、キャサリンは死ぬまで世話をした。自らも数学の道を進む彼女にとって父親は師でもあった。ロバートの部屋で重大な発見が記されているかもと、教え子で数学者のハルがノートを漁っている。彼はキャサリンに恋心を抱いていた。心を閉ざす自分を思いやるハルに、キャサリンはノートを導く。
Proof、証拠、証明。ハルがキャサリンの主張を最初信じなかったことが、事態を混乱させる。証拠がないというハルに、結果論ではないと答えるキャサリンは正しかった。塞ぎこむキャサリンの思い出として回想シーンがまめに入る。ロバートが、正常に戻ったと思われた時に数式を解明したと喜んでいた。その式は彼が正常でないことを証明した。悲しいプルーフが彼女を追いやる。
主要な登場人物は4人だけで、グィネス、アンソニー・ホプキンス、ジェイク・ギレンホールは語りつくされているとして、キャサリンの姉クレアを演じたホープ・デイヴィス。野心にあふれ、欺瞞に満ちて、最も苦手なタイプの人間として焼きついた。紋切り型でこういう役どころが多いのかと思いきや「アバウト・シュミット」「アメリカン・スプレンダー」では全く違う顔を見せる。というかキャストプロフィールを見て気づいた。カメレオンだった。
30年弱生きてきて、僕の人生でエポック・メーキングなできごとは3つあって、その中で最も大きかった、言うなればターニング・ポイントとなったことは、阪神淡路大震災である。
高校卒業は決まっていたが大学は全て不合格、就職する気はさらさらなく、日の4分の3は口を開けているような締まりがない顔だった時、惨事は起きた。よほど人の役になど立ったことがなかった僕は、のうのうと生きているのが申し訳なくなり、時間だけは持て余していたので、ザックを背負って神戸に向かった。激しいショックを受けた。
長田区役所近く、川沿いの細長い公園にテントを張って、ボランティアグループに属し、できることは少なかったが雑用をこなした。そこで受けた衝撃に加えて、初めて人のために事をおこなったという実感を持った。つまり僕はそこで、不謹慎だが、充実していたのだ。感受性も普段以上に高まっていたと思う。
それから、何度かボランティアという名目で神戸へ行った。2度目だったか3度目だったか、須磨区だったか長田区だったか、ピラミッド型の大きなジャングル・ジムがある公園で、復興祈願フリーライブのようなものがやっていた。そこでソウル・フラワー・ユニオンと今は亡きどんとを見る。後にも先にもあれだけ感動したライブは経験していない。“満月の夕”では頬が濡れた。
1月17日を忘れない。そして“満月の夕”を聞く。
- ソウル・フラワー・ユニオン
- ELECTRO AGYL-BOP