徳島。2018年紅白歌合戦に出場した米津玄師が歌唱したのも記憶に新しい。私自身も近年訪れた徳島のことを更に詳しく知りたいと思い調べてみた。
徳島県の基本情報
徳島県は、山地が多く全面積の約8割を占めている。県内の最も高い山は四国山地中の剣山で、標高1,955m。主な河川は吉野川で全長は194km、人口は721,721人(R2,9,1現在)。
徳島県域の旧称の阿波国の名前の由来は、古代吉野川流域で粟がよく実ったからと言われている。阿波国と淡路国(現在の淡路島)の関係は古くからのもので、淡路の地名は、「阿波への道」が由来という説がある。
室町時代以降、阿波国は細川氏、三好氏、長宗我部氏と勢力が移り変わっていったが、長宗我部氏が豊臣秀吉に敗れ、豊臣家家臣の蜂須賀氏が入国した。この時蜂須賀氏は徳島に城を構え、徳島城下が政治・文化の中心となった。
徳島藩は阿波国のみならず淡路国も支配下に置きつつ、江戸時代の約300年の間、藍・塩・砂糖・葉たばこの専売によって富を築いた。その後明治9年に淡路島が兵庫県に編入されるまで、現在の徳島県域と淡路島は同じ自治体であり続けた。本州四国連絡道路 神戸・鳴門ルートが建設されたのも、地理的に近いことに加えて、昔から徳島と淡路島とが結びつきが強かったことによる。
阿波藍
阿波藍は江戸時代、徳島藩が専売品とした特産の染料である。阿波で本格的な栽培が行われるようになったのは、1585年に蜂須賀家政が徳島入りしたとき、旧領の播磨国(現在の兵庫県)から種子と技術を導入し、栽培を保護・奨励したことに始まる。徳島の藍はその品質の高さから別格扱いとされた。
1625年には藩の藍方役所が置かれ、藍の保護と統制に乗り出しているが、1733年に藍方奉行所を新設して葉藍専売制の強化を図った。吉野川下流域の名東、名西、板野、阿波、麻植の各郡が主産地であり、全国の市場をほぼ独占して藩財政を支え、「阿波25万石、藍50万石」とまでいわれるほどになった。
阿波おどり
阿波おどりは徳島市を中心に踊られる盆踊りである。盆踊りは徳島県下でもほとんど輪踊りであるが、徳島城下町だけは行進する盆踊りが発達した。これを阿波おどりと名づけたのは昭和になってからである。
この地域の言い伝えによると、阿波藩祖蜂須賀家政の築城祝いに無礼講を許したのに始まるという。1798年の盆踊り絵も現存しており、少なくともこの頃には阿波おどりが存在していたといえる。
数十人が連といわれる組をつくって、三味線、笛、鉦(かね)、太鼓に『よしこの節』の「踊る阿呆に 見る阿呆 同じ阿呆なら 踊らな損 損」といった歌を歌いながら姿態をくねらせ踊りつつ行進していく。腕は両肩から上にあげ、腰の上下動は少ないのがよいとされるが、振りは奔放であり、底抜けに明るいのが特徴。
旧暦の盆に踊られてきたが、1976年より8月12日から4日間となり、毎年多くの観光客を集めている。残念ながら2020年の阿波踊りは中止となってしまった。
大塚国際美術館
最後に米津玄師が歌唱した大塚国際美術館を紹介したい。鳴門市にある日本最大の常設展示スペースを持つ陶板名画美術館である。館内には、古代壁画から、世界26ヶ国、190余りの美術館が所蔵する現代絵画まで西洋名画約1000点の複製がある。
また、オリジナル作品は近年の環境汚染や地震、火災などからの退色劣化を免れないが、陶板名画は陶器の大きな板に原画に忠実な色彩・大きさで作品を再現したものであり、約2000年以上にわたってそのままの色と姿で残るのが特徴である。
ゲルニカやモナ・リザといった名画のみならず、屋外展示されたモネの大睡蓮や、米津玄師が歌唱したバチカンのシスティーナ礼拝堂など空間展示も魅力的である。
他にも鳴門大橋、渦潮、東大ラーメン、大歩危・小歩危など魅力がたっぷりの徳島県。皆さんも機会があったらぜひ訪れてみてほしい。

