日記 | flapjacks

日記

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最近滞っているのは、ラブマシンmacちゃんが貸し出し中だったからです
もちろんVAIO君でも初代macちゃんでも携帯でも良いわけだけれど、こういうところに私の怠惰な本性が出てしまう
ダヴィンチは、いつもメモ帳をポケットに入れていて、何かあるたびにメモに記していたそう
日々の積み重ね、気づきを脳みそに溜められる人は必要がないかもしれないけれど、私みたいに昨日のことも思い出せないような不幸な頭の持ち主は、書き留めるしかない

日記というものは、なんか自分の感情を吐露するような、心の中の事を書くものみたいに思われているけど、実際問題そういう日記は振り返って読んでも、役に立った試しがないと梅棹さんは言う。
日記にはできるだけその日にあった記録を客観的に簡潔に書き残すべきだ。だけど、もちろん考えや気持ちを排除する事はない。そういう種類のものだって客観的に簡潔に書く事ができるはずだと

もちろんドラマティックな文章や、芸術的な表現ができる人の日記は、文学になると思うし面白い
だけど私は遠い昔にこの日記観を植え付けられてしまった
なのにまだ今になっても自分のものにできないでいる
きっと将来役に立つような日記というものは、書き方にルールがあるんだろうと思う

日記を覗かれて恥ずかしいなと思うのは、自分の気持ちを必要以上に吐き出しているからではない
こんな事が大事だなんてうすっぺらい奴だなぁと思われたり、自分しか見ないからいいやと汚い走り書きで文章とも言葉ともならないものになることだ
ブログに日記を記すことによって、少なからず後者の恥ずかしさからは逃れられたなとは思う
いくら走り書き(走り打ち?)をしても整った文字が打ちだされるし、人に見られているという意識から、読み返しても意味が分かるくらいのルールが守られた文にはなった
今は、なんとなくこの日記の書き方が気に入っている。
そして私はこのブログを日記として書き続けてるから、カテゴリーも全てが日記という事にしている

あとはメモする内容だけだな
公開することによって、書けないことがあるのも本当のことだし、案外そこに本質があったりもする
私はいくつかのことにおいて、ブログには記さないとルールを決めている
書かないのだから、それが何についてかも書かない
だけど、それが効果的であるかどうかの結果はまだ出ていない
ブログで日記を記す方法には、まだもうちょっと改良がいるなと思う
意味のないメモは、役に立たないどころか、時間の無駄だしねー