3月11日のこと。
人生で体感した中で一番大きな地震。
その日は、週末からインフルエンザにかかっていた息子がまだなんとなくすっきりせず、私の仕事も比較的暇だったので、息子には保育園を休ませていました。
丸5日病院以外に出掛けていなかった息子と私。さすがにストレスがたまっていたので、ランチは、家族みんなで散歩を兼ねて、自宅から3キロほどのところにある回転寿司へ。14時過ぎに食べ終わり、家へと向かいました。
ストレートネックのリハビリに行く夫と途中で分かれ、息子と私はパン屋や本屋に寄りながらのんびり歩いていたら、地震が。
妊娠してから動悸とめまいが日常的にあったので、始めは、ひどいめまいだと思っていました。
でも、車が止まり、建物から人が出てきて…あ、地震だ、と気づきました。
周りを確認したら、目の前には、隙間をあけて網状に煉瓦を並べた、オシャレマンションの塀!これはまずい、と、息子の手を引いてダッシュ!
先にある、避難所になっている運動公園へ逃げようと思ってそこにたどり着いたのですが…そういえば、事業仕分けされて、入ることすらできなくなっていたのでした。
仕方なく、その安全なだだっ広い広場の前の歩道で、頭上に注意しながら、揺れがおさまるのを待ちました。電柱がぐらぐら揺れていて、倒れるんじゃないかと怖かった。もし電柱が倒れていたら…なんとなく、レンホウさんを恨んだと思う。
夫は大丈夫だろうかと気になったけど、電話なんて通じるわけもないし、ひとまず自宅へ帰ることに。
高さのある家具は置いていないので、固定もしていない我が家。テレビが倒れ、食器棚の食器は飛び出して割れているだろうな。机も、板を乗せているだけだから落ちてるかな、と覚悟を決めて帰宅。
エレベーターが止まっていたので階段で7階へ。
家の中は、棚の上から物が落ちたり、たんすの引き出しが全部開いていたりしたけど、わりと平気でした。あ、落下物でガスコンロのガラストップが割れましたが。

最初は修理に4万円かかるといわれましたが、地震のお見舞いということで、メーカーさんが無償修理してくださることに!!ありがたいです。
息子と「びっくりしたね。でもテレビ壊れてなくてよかったね」なんて話していたら、夫が息を切らして家に飛び込んできました。夫と私が地震に遭った場所は1キロも離れていないはずなんだけど、地盤の問題なのか、夫の居たところは立っていられないほど揺れ、女性たちはパニックになり、お店の出口では将棋倒しが起きていたそうで、私も怪我をしたのではと心配してくれていたみたいです。息子も私も、怪我もなく、落ち着いていました。
夫から「大きな余震があるかもしれないからしばらく外へ行こう」と言われ、外出。公園に避難している人もたくさんいました。
しばらくして帰宅したら、エレベーターも止まったままで、しかも、水が出ない!管理センターに電話をしたら、エレベーターも水道も、マンションの誰からも復旧依頼はなく、止まっていることが伝わっていない状況…。外に集まっていた主婦の方々の井戸端会議の議題はなんだったの!?と軽くイライラ。
水道復旧は時間がかかるとのことで、実家に避難することに。電車が止まっていたしタクシーもつかまらず、父母がいつもの3倍の時間をかけて車で迎えに来てくれた。ありがたかった。結局実家に2泊させてもらいました。
+ + +
地震後数日は、ニュースにくぎ付けになってしまい、だんだんと絶望的な気分になっていきました。大切な人、家、もの、仕事・・・あらゆるものを失ってしまった人が本当にたくさんいらっしゃって、本当に言葉がなかった。
今、少し時間が経って、結局、自分ができることを頑張るしかないのだなあというところに落ち着きました。私には原発をとめることも、救援物資を届けにいくことも、ユニクロの柳井さんみたいに10億円寄付することもできないけれど、少しの募金と、節電と、仕事と、経済活動ならできるぞ、と。
この2年ほど、東日本の観光促進にかかわるお仕事をさせていただいているので、復興が始まったら、それをうんと頑張ろう。自分でも、被災地に観光に行ったり、被災地の農産物・海産物を買っていこう。
今回見直したのは、Twitterと日本人!
Twitterって、有名人のデートをリークするのに使われたり、ロクなもんじゃないなと思いながら使っていましたが、今回の地震では大活躍でしたね。地震直後に携帯がつながらなかった時も、twitterはつながったしね。
昔に比べて日本人は冷たくなったと言われていて、私も日常的に「冷たい人が多いな」と感じることも多かったけど、今、また助け合いの心が生まれつつあるような気がして、少しほっこりしました。ヤシマ作戦、ウエシマ作戦、なんて、なかなか粋なプロジェクトです。
その日は、週末からインフルエンザにかかっていた息子がまだなんとなくすっきりせず、私の仕事も比較的暇だったので、息子には保育園を休ませていました。
丸5日病院以外に出掛けていなかった息子と私。さすがにストレスがたまっていたので、ランチは、家族みんなで散歩を兼ねて、自宅から3キロほどのところにある回転寿司へ。14時過ぎに食べ終わり、家へと向かいました。
ストレートネックのリハビリに行く夫と途中で分かれ、息子と私はパン屋や本屋に寄りながらのんびり歩いていたら、地震が。
妊娠してから動悸とめまいが日常的にあったので、始めは、ひどいめまいだと思っていました。
でも、車が止まり、建物から人が出てきて…あ、地震だ、と気づきました。
周りを確認したら、目の前には、隙間をあけて網状に煉瓦を並べた、オシャレマンションの塀!これはまずい、と、息子の手を引いてダッシュ!
先にある、避難所になっている運動公園へ逃げようと思ってそこにたどり着いたのですが…そういえば、事業仕分けされて、入ることすらできなくなっていたのでした。
仕方なく、その安全なだだっ広い広場の前の歩道で、頭上に注意しながら、揺れがおさまるのを待ちました。電柱がぐらぐら揺れていて、倒れるんじゃないかと怖かった。もし電柱が倒れていたら…なんとなく、レンホウさんを恨んだと思う。
夫は大丈夫だろうかと気になったけど、電話なんて通じるわけもないし、ひとまず自宅へ帰ることに。
高さのある家具は置いていないので、固定もしていない我が家。テレビが倒れ、食器棚の食器は飛び出して割れているだろうな。机も、板を乗せているだけだから落ちてるかな、と覚悟を決めて帰宅。
エレベーターが止まっていたので階段で7階へ。
家の中は、棚の上から物が落ちたり、たんすの引き出しが全部開いていたりしたけど、わりと平気でした。あ、落下物でガスコンロのガラストップが割れましたが。

最初は修理に4万円かかるといわれましたが、地震のお見舞いということで、メーカーさんが無償修理してくださることに!!ありがたいです。
息子と「びっくりしたね。でもテレビ壊れてなくてよかったね」なんて話していたら、夫が息を切らして家に飛び込んできました。夫と私が地震に遭った場所は1キロも離れていないはずなんだけど、地盤の問題なのか、夫の居たところは立っていられないほど揺れ、女性たちはパニックになり、お店の出口では将棋倒しが起きていたそうで、私も怪我をしたのではと心配してくれていたみたいです。息子も私も、怪我もなく、落ち着いていました。
夫から「大きな余震があるかもしれないからしばらく外へ行こう」と言われ、外出。公園に避難している人もたくさんいました。
しばらくして帰宅したら、エレベーターも止まったままで、しかも、水が出ない!管理センターに電話をしたら、エレベーターも水道も、マンションの誰からも復旧依頼はなく、止まっていることが伝わっていない状況…。外に集まっていた主婦の方々の井戸端会議の議題はなんだったの!?と軽くイライラ。
水道復旧は時間がかかるとのことで、実家に避難することに。電車が止まっていたしタクシーもつかまらず、父母がいつもの3倍の時間をかけて車で迎えに来てくれた。ありがたかった。結局実家に2泊させてもらいました。
+ + +
地震後数日は、ニュースにくぎ付けになってしまい、だんだんと絶望的な気分になっていきました。大切な人、家、もの、仕事・・・あらゆるものを失ってしまった人が本当にたくさんいらっしゃって、本当に言葉がなかった。
今、少し時間が経って、結局、自分ができることを頑張るしかないのだなあというところに落ち着きました。私には原発をとめることも、救援物資を届けにいくことも、ユニクロの柳井さんみたいに10億円寄付することもできないけれど、少しの募金と、節電と、仕事と、経済活動ならできるぞ、と。
この2年ほど、東日本の観光促進にかかわるお仕事をさせていただいているので、復興が始まったら、それをうんと頑張ろう。自分でも、被災地に観光に行ったり、被災地の農産物・海産物を買っていこう。
今回見直したのは、Twitterと日本人!
Twitterって、有名人のデートをリークするのに使われたり、ロクなもんじゃないなと思いながら使っていましたが、今回の地震では大活躍でしたね。地震直後に携帯がつながらなかった時も、twitterはつながったしね。
昔に比べて日本人は冷たくなったと言われていて、私も日常的に「冷たい人が多いな」と感じることも多かったけど、今、また助け合いの心が生まれつつあるような気がして、少しほっこりしました。ヤシマ作戦、ウエシマ作戦、なんて、なかなか粋なプロジェクトです。







