知識のない批判。 | Fラン大学生の気になったアレコレ

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頭が悪いなりに考えてみたことを書いてます。
意見等あれば気軽にお願いします。

「これはしていいこと」「これはしてはいけないもの」
皆さんはどのようにその行動の善悪を決めているんでしょうか?

倫理や道徳という感情のものは日常に多く存在しますが、
最近では仕組みすらよく分かられていないにもかかわらず
使用されているものが数多く存在します。


そうです、パソコンやスマートフォンです。

「これを使えば○○できる!」と仕組みもよく知らないで
とりあえずできるから使う、というものが多いです。





少し話は逸れますが、
法や規則は「そう決められているから守らなければいけない」と
考えている人が結構いるようです。

「飲酒運転してはいけないのは?」と聞かれれば
「事故の危険性がある」と多くの人が答えると思います。

「自宅近くの道はなぜ40kmの規制がされているのか?」と聞かれたら
それも「事故の危険性があるから」と答えるかもしれません。

しかし、その答えに含まれる意味というのは異なってきます。
飲酒運転では正常な判断ができず、また認知が遅れるなどの危険性があります。

40㎞の規制では道幅の狭さや、歩行者の飛び出しなど
それ以上の速度で通行した場合に認知が不可能な場所が存在したり、
通行可能区域以外にぶつかった場合の危険性が高くなるなど
飲酒運転とは少し異なっています。

高速道路が一般道よりも早い80㎞で通行できるということは
一般道における事故の危険性を排除している側面があるのではないでしょうか。

恐らく歩行者が存在しない、
道に交差点は存在しない、
一方通行であるため対向車と接触する可能性がない、
…などなど決められているルールには、それなりの理由があります。


危険性を排除するといっても、そこに含まれる意味は様々です。

そこまでのことが理解できて初めて
物事への批判ができるのではないでしょうか?




さて話を戻します。

例えとして、スマートフォンのアプリを出しましたが
仕組みが分からなければなんだっていいんです。

ここではPCのあるソフトウェアを例にします。


以前違法ダウンロードに関して記事を書きました。

その違法ダウンロードに関してよく使われているのが
ファイル共有用ソフトの「Torrent」です。

他者からファイルをダウンロードしたり、
また他者にファイルをアップロードしたりする役割を持っています。



とりあえず仕組みだけ簡単に説明しておきます。

1つのファイルをA・B・Cと分けたとき、
XさんはファイルAを、YさんはファイルB、ZさんはファイルCを持っていたとします。

これはA・B・Cで一つなので、音楽ファイルだとしたら
Aしか持っていなければ曲の1/3しか聞くことが出来ないと思ってください。

となると、Xさんは一曲全部聞きたいので
BとCのファイルを誰かからもらわなければなりません。

そこでTorrentを使って、
XさんはBとCのファイルを探すことにしました。

Yさんは残りのAとCのファイルを捜し、
ZさんはAとBのファイルを探しています。

XさんはYさんがBを持ち、ZさんがCを持っているため
YさんからBを、ZさんからCをダウンロードします。

その時、2人がAのファイルを探していることを知り、
BとCをもらうために、Aのファイルをアップロードします。

お礼の印みたいなものですね。

Torrentを使ったことでXさんの手元にはA・B・Cのファイルが揃いました。
これで音楽を一曲聞くことが出来ます。


…これ違法ですか?

もちろん、著作権のあるファイルをやり取りしていれば違法となります。

しかし、これがDさんが自分で作詞作曲し、
自由にやり取りしていいファイルだったとしたら、
これは違法ではありません。

ソフトウェアによってはダウンロードではなく
Torrentでのやりとりによって入手することが推奨されているものも
存在するらしいです。



しかし、「Torrentは違法ダウンロードのソフトだ」と誰かが言えば
使ったことがない人は「Torrent=違法ダウンロードに使うソフト」と
勘違いしてしまうでしょう。

先ほど僕も「Torrentは違法ダウンロードに使用されることが多い」と言いました。
そこで「違法なソフトだ」と思った方もいるのではないでしょうか?


確かにその利便性から違法ダウンロードに使用されていることは多々あります。
しかし、正規の使い道も存在しており一概に悪いとは言えないものです。

情報が欠けていることで、
その本来のあり方も知らず、ただ悪いものであると
批判するのはどうなのだろうと、僕は思うのです。



今度は身近なものにしてみましょう。

例として挙げるものは「LINE」です。
スマートフォンを持っている方なら
使ったことがある人は多いのではないでしょうか?

誰とでもすぐ連絡がとれて便利な物です。
みなさんもその利便性から使用しているのだと思います。

しかし、「誰とでも」連絡が取れるというのはいいことばかりではありません。

ここ近年、LINEによる被害が数多く報告されています。
特に未成年者に目立ち、児童や生徒が巻き込まれる事例も多いです。

その危険性を知りながらも、便利だから使っていますよね?


でもLINEを知らない、使ったことがない人たちに聞いてみると
「怖い」「危ない」などの声が多いそうです。

以前、ネットがそこまで普及していなかった頃も、
世界中のだれとでもコミュニケーションが取れるという利便性に反し、
自己の特定やコンピュータウィルスによる機器の故障、個人情報の流出など
多くの問題から同じように言われていたと思います。

現在でも危険性はあるものの、
その利便性や安全な使い方を知ることで
使用人口は以前よりもはるかに多くなっています。


犯罪に利用されることは確かに脅威ではあります。
しかし正規の使用法によって、安全に使用している限りは
そこまでの危険性ということはないでしょう。

LINEであっても、知らない人と連絡を取り合わない限りは
犯罪に巻き込まれるリスクはそこまで大きくはないと思っています。




物の本質を理解せずに使用することは危険です。
しかし、現在のパソコンやスマートフォンのソフトウェアに関して
その仕組みをいちいち知らなくてはいけないとなると、
利用に関して大きな支障が出てくるでしょう。


ここ最近は安全な使い方、
知るべきところを知っていれば問題はない
というのが大きな考えのようです。



だからこそ、他者の言葉に流されやすくなっています。
本質を理解していないのですから、他者の言葉を鵜呑みにしてしまう、
というのはどうしようもないのかもしれません。


しかし、本当の側面を知らずに勝手に
「危険だ」「使ってはいけない」と決めつけることは良くありません。

LINEは危険である、Torrentは違法ソフトである、
そう言われて決めつけるのはどうでしょうか?

実際に使いもしない人が噂で聞いただけの確証のない話かもしれません。
それを鵜呑みにしますか?

こういうのに騙される時は、
大抵使ったことがない、経験が多いものに関して強く影響します。


恐らく、「LINEはそんなことはない」と言いきれても
Torrentに関しては「どうだろう?」と思う人がいるかと思います。


そういう人が多いからこそ
聞いたことを鵜呑みにするのではなく
「真実かどうか」を見極め、場合によっては
調べることを忘れては欲しくないと思っています。



メディアで報道される内容も
自分の知らないことだからこそ「そうなんだ」と思い
鵜呑みにしてしまいがちですが、
誤った情報というのは数多くあります。

特に都合のいい部分だけ切り取っていることが多く、
重要な補足部分がカットされていることが多いです。

「○○な場合では、××する可能性もある。(○○な場合なら起こる)」ということが
「××する可能性がある。(条件に関係なく、そうなる可能性がある)」となっていることも
少なくはありません。


置き換えてみれば、
「Torrentはファイル共有において便利なソフトではあるが、違法ダウンロードに使われる危険性がある。」→「Torrentは違法ダウンロードに使われる危険性がある」

「LINEは誰とでもすぐに連絡が取れ利便性が高いが、犯罪に使われることもある」→「LINEは犯罪に使われることもある」

…などなど、それ自体のメリットを消して、
意図的に危険性の強調をすることが可能なわけです。

これが噂になると、「危険である」という部分がさらに強調されていく。
そうなるようにメディアは印象として強く残るように報道しているのですから。


以前、橋下市長の会見時に記者に対して怒ったことが報道されていました。
テレビでは橋本さんが悪く言われていましたが、
YouTubeに挙げられていた会見の一部始終を見てみると、
橋本さんが起こった理由が記者の勉強不足が原因であり、
質問自体が悪かったのにもかかわらず
しつこく同じようなことを聞いていたということがあったような気がします。

テレビや新聞などのメディアは
自分たちに都合のいいように報道しようと思えば
いくらでもできる立場であるに、等しいです。



ソフトウェアに限らず、
メディアが批判していることでも、自身よく分からないことは
一旦調べてみてはいかがでしょうか?

メディアからの情報を鵜呑みにしているだけでは
よくわからない、情報が偏っている場合があります。

その偏った情報で、
物事の知識・情報もない状態で批判するということは
他者に操られているも同然です。



…このブログの記事すらも本当かどうかは分かりませんよ?
僕が意図的に強調しているだけかもしれません。

そもそも、記事に「~らしい」や「~だった気がする」という言葉がある時点で
信用に値するものではないのですが…

頭の片隅にでも置いて、何か考える時の判断材料にするのも一つです。
これが正しいか、それとも誤りなのか、決めるのは自分自身です。