マキシエポック -2ページ目

20100818 0時頃。

葉が溜まっている。

小説のひとつでも書いてやろうかとも思ったが、溜まっている言葉が余りに纏まりきらなくて、とりあえず独り言だ。



何かを書きたい。

唯、その何かが纏まらないのは、近頃“文字”に触れていないから。

“言葉”には吐き気が出るほど関わって生活しているが、とりわけ“文字”となると本も読んでいなければ、直筆で書く事もしていない。

この文章ですら、キーボードを叩いているだけだ。

仕事上で関わる文字は、記憶として残る事はない。

関わっている様で、自らのキャパシティーの中に取り入れず、受け流している。

実は自分の中に取り入れている言葉少なく、自ら産み出した言葉を吐き出す場も少ないから、ガタガタした言葉ばかり身体の中に溢れてきて、お腹がいっぱいになってしまっている。

だから、自らが書きたくなる文章を産み出す為、その第一段階として言葉に関わる為、今日からとりあえずブログに思った事を書き表してみようかと思う。

ひとり、ひとり

学生時代からの友人に子どもが生まれた。

高校時代の部活の後輩で、大学卒業後首都圏で就職した為、北国に住む僕とは年に1度か2度ほどしか逢わないのだが、それでも高校を卒業して10年以上経った今でも細々と交流は続いていた。

遊び人の様だが、下品な事を上品に行なうスマートさを持った男で、僕はいつも憧れていた。

そんな彼に子どもが生まれたのだ。

結婚しただけでもびっくりだった。

まるで家庭的な匂いが全くなく、“一般的な幸せ”を求めるタイプではないと思い込んでいたからだ。まぁ僕の勝手なのだが。

そんな彼が昨年結婚し、今年に入ってその奥さんが無事出産。

しかも、その彼は単身赴任で福岡へ旅立ったのだという。

まだ生まれた赤ん坊の顔も見れていないのだそうだ。







また別に、こちらも高校時代からの繋がりのある友人が、子どもを連れて僕の働く某量販店に買い物に来た。

元々は高校時代の部活の先輩の妹で、昔密かに想いを寄せていた女性だ。

連れてきた子どもは、4歳になる愛らしい笑顔を見せる女のコ。

人懐っこさはきっと母親譲りだ。

そのコが生まれた時、玩具屋で働いていた僕は出産祝いに玩具を持ってお見舞いに行った事がある。

生まれたてのそのコは口をパクパクしながら、すやすやと眠っていた。

まるで宇宙人みたいだった。

その宇宙人が今4歳の地球人となって、不甲斐ない大人の僕と普通に会話をする。

僕の言った事に反応をする。

得体の知れない宇宙人も、4年あれば地球語の中でも取分難しいとされる日本語を話すのだ。







自分一人で生きていたら、無闇に時の流れる速さや儚さには気が付かない。

自分じゃない誰かの変化に自分の心情や感情を這わせて、それが速いとか遅いとか評論めいて目安とする。

僕は日々そんなに成長しているとは思わないけれど、老化するほど何かに打ち込んでみたり、歓喜や絶望を味わってきていない。

唯、流れるものはいつだって速くて、僕が感じ取る頃には、決まって僕の横をあっさりと通り過ぎていく。







眠る事にすら恐怖する僕に、他人に羨ましがられるほど速い時の流れを生み出す日々は訪れるのだろうか。

年の瀬ing。

クリスマスを過ぎると、恐ろしいほど速く年末モードに切り替わる。

もっと言うと、12月になった途端時の過ぎるスピードが速くなって、あっという間に1ヶ月が駆け抜けて、今年が終わる。

毎年の事だが、師走は読んで字の如く走って過ぎ去ってしまうのだ。



年の始めに立てた目標なんかを思い出して、何だか少し寂しくなって、大した意味のない反省なんかをしてしまう、だらしのない大人がここにいる。

今年も入ってくるお金はなく、出ていくお金ばかりが嵩む1年だった。

来年は何かが変わるのだろうか。

それとも、また今日の様にウダウダ言って終わる1年になるのだろうか。



意味のある1年にする為に、生きている意味のある自分にならなくては。

禊には、もう飽きた。