まいど、月辺ですどーもm(__)m
池澤春菜女史の近著『私は孤独な星のように』。
書店さんで偶然運命的に出会ったのだが、その装丁の美しさと、試し読みした「糸は赤い、糸は白い」の書き出しの面白さに惹かれて即買い。元々春菜女史の本には興味があったのです。
果たして初日に読破。短編集とは言え、一息に読んでしまったこの感触、久々の快感。最近とみに読書量が減ったせいなのか、全盛期(とは??)に比べると読解スピードが格段に落ちたワタシ。誤読とつっかえが多く、同じ1行を何度も何度も読み直す日々。そのワタシがするっと飲むようにいただけてしまった本作はかなり取っつきが良いのではなかろうか。
まあ一息に読めたというコトは流している部分も多々あるというコトだから、時を置いて何度か再読すると「あれ、ここ読み飛ばしていたな」「そういうコトか!」と大半を遅れて理解するのだろうけれど。
まず全体の感想としては、全編がライトかつハード(=読み物としては軽く丁度いいヴォリューム感で、その反面内容は硬質かつ深淵、遠大なサイエンスフィクション)だな、と。未来のお話__といっても西暦にして2100年代、つまり22世紀を越すような遠い先ではなくて、ぎりぎり私も生きて迎えられようかという近未来__を描きつつ、恋とか家族とか、地域の繋がりとか、ダイエットとか……。兎に角主題が身近なのが良いと思った。場面設定はどれもSF然としているのだが。
何より先に挙げた「糸は赤い、糸は白い」。人が頭にきのこの菌種を備え、“マイコパシー”と呼ばれる感情の交歓を行って生きていく社会という突飛なテーマと、多感な時期を迎えた女の子同士の甘くも微妙なもどかしさを孕んだ心のふれあいが絡み合う雰囲気がたまらない。SFと百合の相性は100億%、と昔から言われていますからね(誰に?)。
また、AIとの共存が当たり前の世界で昔ながらの村落暮らしを続ける海沿いの町とか、高地に住むビスカチャ(初めて知ったが、チンチラの仲間だそう。写真を見る感じ、可愛いのだけど目つきが達観しててシュール)の生態に隠された大きな謎などなど、どれも気楽なテーマと未知の体験がミルフィーユのように重なり合っていて面白い。
私はSF好きを公言するには理系知識に疎く、読書経験も少ない。もちろんロボアニもボーカロイド音楽も好きだし、一応『夏への扉』は読んでいる。けれどその程度。アシモフは初読で挫折したので、今なら読めるだろうかしら……ともう一度試したい思いに駆られている。
そんなワタシが一番強く抱いた感想は、「此処には否定も肯定もないんだ」というコトだ。
世界があり、事象があり、そこに生きる人がいて、それぞれの捉え方が時に主観的に時に客観的に描かれる。ただそれだけ。
どの人物も(時には生き物やAIも?)感情は持っても、目の前に現れた命題に対して明確な結論は出さない。これを読み、彼らの人生を追体験した読者がそれぞれの意見を持つコトを許されている__そんな気風が7篇全体に漂っている。
例えば私なら、この頭の中にきのこ菌を受け容れるだろうか。イエスだとして、どんなきのこを選ぶだろうか。友達や家族と同じものを選ぶ?敢えて違うものにする?
もしAIとバディになって暮らしていきなさいと言われたらどうするだろう。拒否して孤立するか、全面的に受け容れて個性を没却させるか。或いはそれとも……。
未来の形は人類70億人だけでも70億通りある、そんな捉え方で良いのかもしれない。選んでもいいし選ばなくてもいいのかもしれない。「正しい」は人それぞれだから、マジョリティでもマイノリティでもいいのかもしれない。
SFという思考実験の場を通して、「私自身」「私と世界」「私と自然」を見つめ直す場所。池澤春菜ワールドとはそんなトコロなんじゃないかな?と、月辺自身はそう感じました。
なんだか涙を流しながら、出会えて良かったなあと思えた一冊です。新書で買えてラッキーだったな。
春菜女史はギリシャ生まれで大物の血を継いでいて、声優さんとしても作家さんとしても素晴らしくて、二次元ばりのステータスを保有している傑物。でも、プラモデルが好きだとか、本が好きだとか、こんな凡夫代表みたいな私との共通項もないではないし、何より射手座さんというところが良い。私の憧れの対象・射手座。自由と行動の星。旅人でありながらエンターテイナー。ストイックなのに何処か子供っぽい。クールに見えて熱血体育会系ノリ。
射手座さんの生き様が私は好きだ。或いは一番月辺とかけ離れているから、かも……。
早速彼女の他作品も読んでみたくなりました。まずはエッセイ集2冊を買ってみるかなー。