Tokyo Central Church☆FK Project 「深みに漕ぎ出そう!」 -33ページ目

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。

わたしはあなたを愛している。」


罪深い私達を神様は見捨てず、

むしろ愛し、救い出してくださいましたラブラブ

私が水の中を通る時も、川を渡るときも、

火の中を歩く時も、主は共におられ、

私たちを包み、守り導いてくださいます。

目に見えるいろいろな状況のせいで、

信仰が弱くなり、自信を失う時もありますが、

私は神様に愛されていますから、

神様のために立ち上がり、神様のために生きていきますドキドキ

ガラテヤ 1:3-10

どうか、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、
恵みと平安があなたがたの上にありますように。
キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、
私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。
私たちの神であり父である方のみこころによったのです。
どうか、この神に栄光がとこしえにありますように。アーメン。
私は、キリストの恵みをもって
あなたがたを召してくださったその方を、
あなたがたがそんなにも急に見捨てて、
ほかの福音に移って行くのに驚いています。
ほかの福音といっても、
もう一つ別に福音があるのではありません。
あなたがたをかき乱す者たちがいて、
キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです。
しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、
もし私たちが宣べ伝えた福音に反することを
あなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。
私たちが前に言ったように、今もう一度私は言います。
もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、
あなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。
いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。
いや。神に、でしょう。
あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。
もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、
私はキリストのしもべとは言えません。

ヨハネ 13:1-5

さて、過越の祭りの前に、

この世を去って父のみもとに行くべき

自分の時が来たことを知られたので、

世にいる自分のものを愛されたイエスは、

その愛を残るところなく示された。

夕食の間のことであった。
悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、
イエスを売ろうとする思いを入れていたが、
イエスは、父が万物を自分の手に渡されたことと、
ご自分が父から来て父に行くことを知られ、
夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、
手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、
腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。

主は自ら低くなり、一人ひとりの足を洗いました足

死ぬ間際まで、イエス様は愛を残さず注ぎ出してくださいましたsei
イエス様の惜しみない深い愛情がこの場面に表れています

主は仕えられるためではなく、
仕えるために来たのだとおっしゃいましたハート

私達も神様の子ども、主の弟子ですから
イエス様のが示してくださった模範に従い、
惜しみない無償の愛で互いに愛し合い、
仕え合うことができますようにハート

足を洗われた弟子たちはどんな気持ちだったでしょう…
ペテロが言います。「決して私の足をお洗いにならないでください。」

イエス様がなぜこんなことをするのか、
理解ができなくて、恐れ多かったのでしょう…
しかしイエス様は「もしわたしが洗わなければ、
あなたはわたしと何の関係もありません。」 とおっしゃいます。

罪のあがないがなければ私達は
神様と繋がることができませんでした。
イエス様の十字架の血潮によって、
すべての罪が赦されたことに本当に感謝しますテヘッ
主イエスキリストを通らなければ、
誰も父なる神様のもとに行くことはできません三本の十字架
主イエスだけがいのちに至る道ですラブラブ

キリストは、神の御姿であられる方なのに、
神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、
人間と同じようになられたのです。
キリストは人としての性質をもって現われ、
自分を卑しくし、死にまで従い、
実に十字架の死にまでも従われたのです。 (ピリピ 2:6-8)

ホセア 6:1-3


「さあ、主に立ち返ろう。

主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、

私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。

主は二日の後、私たちを生き返らせ、

三日目に私たちを立ち上がらせる。

私たちは、御前に生きるのだ。

私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。

主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、

私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」

ピリピ 2:12-18

そういうわけですから、愛する人たち、
いつも従順であったように、
私がいるときだけでなく、
私のいない今はなおさら、
恐れおののいて自分の救いを達成してください。
神は、みこころのままに、
あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、
事を行なわせてくださるのです。
すべてのことを、つぶやかず、
疑わずに行ないなさい。
それは、あなたがたが、非難されるところのない
純真な者となり、また、曲がった邪悪な
世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、
いのちのことばをしっかり握って、
彼らの間で世の光として輝くためです。
そうすれば、私は、
自分の努力したことがむだではなく、
苦労したこともむだでなかったことを、
キリストの日に誇ることができます。
たとい私が、あなたがたの
信仰の供え物と礼拝とともに、
注ぎの供え物となっても、私は喜びます。
あなたがたすべてとともに喜びます。
あなたがたも同じように喜んでください。
私といっしょに喜んでください。