アッという間に年末になっている。体感的、脳感的に時間の流れが加速度を増しているような気がする。2024年の一年間、取りあえずコンサートに2回、ライヴに1回足を運んだ。注釈を入れると、独断と偏見でここで言うコンサートとは大量人数収容会場での開催のもの、ライヴとは少人数限定会場。また、自分がプロモートに少なからず関係していたものやアマチュアのもの、行き掛かり上のものは見聞回数のカウントしていない。…どうでも良い注釈。
何とか年間計3回、好きなミュージシャンのステージを見たのだが、悔いが残るのは1月のポール・ウェラーの札幌公演に行けなかったこと。情報を積極的に追ったりしない性分であるからにして気が付いた時にはソールドアウト、あとの祭りになってしまった。札幌なら行くことは可能だった。
5月にニューアルバム「66」がリリースされた。アルバムタイトルは彼の年齢である。思い起こせば英国の3人組ロックバンド「ザ・ジャム」の一員としてポール・ウェラーはデビューしたのは1977年。彼は19歳で、それを聞いていた私は17歳だった。多分、NHK-FMの渋谷陽一氏の「ヤング・ジョッキー」でその音を最初に耳にしたのだと思う。英米のロックシーンはパンク、ニューウェイヴが主流の時代。一般的にはジャムもパンクの類のバンドの一つのように位置づけられていた。確かにデビュー当時の彼らのサウンドは粗削りで、スピード感があり、怒れる若者の代弁者のように聞こえた。そんな形状のバンドとそのファンは後に1960年代の英国の尖がった若者達"Mods(モッズ)"になぞらえて、"ネオ・モッズ"などと呼ばれた。ポール・ウェラーは、ジャム解散後には今や洒落たサウンドの代名詞にされてしまっている「ザ・スタイルカウンシル」を経てソロになる。しかしながら、その一本気な性格故にソロ・デビュー時は大手レーベルとは契約せずインディーズだった。
「66」は17枚目のソロアルバムである。ユニバーサル・ジャパンのホームページに掲載されているインタビューを読む限り全部を独力で創り上げたのではなく、他者との共作を重視しつつ楽曲を完成している。ほぼ同世代者であるマッドネスのグラハム・マクファーソンや下の世代で彼に強い影響を受けたオアシスのノエル・ギャラガーや何処で接点があったのか私には不明だがフランスのグループ"ル・シュペールオマール"など。アルバム一曲目からアコースティックギターの調べから始まるポップな音が聞こえる。意外な始まりに苦笑する。しかしながら歌詞は辛辣な部分が見え隠れする。全部を聞き通すとメロディー、アレンジに彼独特の世界が聞こえてくるのだが、作詞、作曲は信頼すべき他者に預けてしまっているという不思議な展開だったりする。勿論、その共同制作は幾度かのキャッチボールによって磨かれたのだろうが。かつての怒れる若者の今のサウンドは心地よく響く。ここに繋がる前作、前々作、それ以前、どんな変化の経緯を辿ったかは後で聞き直して検証しようと思う。いずれにしても「66」は良質なポップスを満載した傑作であり、私の今年の1枚である。
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Written by 鹿毛不二彦
