郡上竿の穂先の秘密 | 長良川と郡上竿の世界

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~郡上竿の穂先~


●穂先について
 郡上竿の穂先には通常には、長良川の河原に生える川竹と呼ばれる竹(笹)を使う。この場合の川竹の正式名称は「ネザサ」で、国内でごく一般的に野原で見られ、郡上地方でも長良川河畔にいくらでも生えている笹である。
川竹でも郡上竿の穂先に適した材料としては、曲がった癖がなく、節間が適度に詰まって粘りと反発力のある竹が選んで使われる。
穂先に適した竹が生える環境としては、土壌の養分が多い土手の黒土に生えているものは背が高く、根元の方の節の間が広く伸びてしまう、このような竹も先の方だけは節が詰まっているので素人目では先の方だけ切って使えば良いと思ってしまうが、このような竹は粘りがなく使えない。
竿先として使う竹は、反対に川の水が洗うような栄養の少ない砂地に育った背丈の低いものが最適である。
こちらの方は根元から節の間の詰まっていて、そのような竹をできるだけ根元から切り、根元から先まで全部を竿先として使用する。
福手福雄氏の工房を訪ねたあるとき、工房の隅に完成した穂先の束がいくつもあるのを見て尋ねたところ、長年の使用で折れることも多く、穂先は消耗品であるため、鮎用、アマゴ用共に沢山作り溜めをしてあるとのことだった。
昭和30年代の郡上竿の最盛期には、愛知県内の釣具屋からの需要で、交換用の穂持ちだけでひと夏500本を作って卸したことがあるという。
また、竿の調子を左右する部分でもあるので、本来は竿を売る際に、お客の好みや要望に合わせて、硬さや長さの合ったものを付けて調整するのだという。
アマゴ用も鮎用の竿も基本的には、竿1本に2本の穂先を付けて販売するが、それは折れた時の予備でもあり、また穂先を替えることによって微妙に調子も変えることができるからだという。
 
●「アマゴ竿の穂先」
アマゴ用の穂先には、鮎用の穂先と比べ、一回り細い竹が使われる。そのため、アマゴ用の竿には、川竹より粘りと柔軟性に長けた布袋竹を使用する例もあり、現存する宮田賢司のアマゴ竿や福手福雄氏のアマゴ竿でも稀に布袋竹の穂先を付けているものもある。

【渓流竿の穂先のいろいろ】
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 【鮎竿の穂先いろいろ】

●「鮎竿の穂先」
鮎用の郡上竿の穂先については、アマゴ竿より一回り太い川竹を使用するのが基本で、穂先の先端は約2mmで箸の先ほどの太さがある。
関東の鮎竿では当たり前に使う布袋竹は基本的に使用しない。
郡上竿特有の川竹でつくる穂先の太さと硬さは、「寄せでに取り込み」ではなく「郡上抜き」のためであるが、一方で川竹は柔軟性に乏しいため、竿と糸との角度が急(鋭角)になった際に穂先の先端部が折れる(福手さんは穂先が飛ぶという)ことが多いという。
そのため、その穂先の強化のために昔から様々な工夫が凝らされている。
 
 【鮎竿の穂先いろいろ】

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●各穂先に20号のオモリをつけて曲げた様子

  【郡上鮎竿 川竹穂先の画像】
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【関東鮎竿 布袋竹穂先の画像】
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【渓流竿の穂先のいろいろ】
 
福手福雄氏が穂先に手を加えたものでは、穂先の先端20~30cmほどに糸を巻き、その上からカシューを塗り固めて強化しているものが最も多いが、竹以外の他の材質を接ぐ工夫がされた穂先もある

【郡上鮎竿 川竹糸巻穂の画像】
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過去の記事でも述べたが、福手俵次の時代には、山奥の郡上までわざわざ貴重な鯨のヒゲを取り寄せ、天然素材であり柔軟性に富んだそのヒゲを削って川竹の先端の20センチくらいに接いでいたと言う。
これは、オトリ鮎の鼻を引くショックを和らげて弱りにくくするとともに、野鮎が掛かった最初の衝撃による糸切れを防ぐことが目的であった。
鯨のヒゲ材は、海釣り用のカワハギ竿等の穂先に使われたことは知っていたが、鮎竿にも使われたことを知り、福手俵次の探究心には恐れ入るばかりであった。
 
【郡上鮎竿 鯨ヒゲ穂先の画像】
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その後、昭和40年代にはグラスソリッドを継ぐようになり、私が譲り受けた福手福雄氏が以前愛用していた竿の穂先についても、全長70㎝のうち先端35センチに急テーパーのグラスソリッドを接いである。
 
【郡上鮎竿 グラスソリッド穂先の画像】
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その後はカーボンソリッドを接ぐようになり、現在、福手氏自身が現在愛用している郡上竿(もちろん竹)の穂先には、同じようにカーボンソリッドが接いである。接ぎ方は、川竹と継ぎ材を斜めに削って接着剤で合わせて細く透明な釣り糸で巻いた上から塗料を塗ってあるが、この竿は自身用ということもあり、実用本位で外見を意識したような小細工が無いところがまた潔い。
私自身、鮎竿穂先にカーボンソリッド等の違う素材を継ぐ工夫は、昭和の終わり頃に発案されたとばかり思っていたが、昭和の前期から郡上漁師の間では既に考案さえていたとは驚きであった