集客の本質は1つ。〜厄落としできた⁈〜 | 将来世代へのバトンを和泉市から〜小林大地のブログ〜

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今年は本厄ということもあり、朝から水間寺へ厄払いに行って来たのですが、申込みの際にその用紙にお寺のオジサンが厄払いの印鑑を逆に押印してしまい、

「あ、逆やった(≧∀≦)テヘペロ」
(テヘペロとは言っていないがそんな感じ)

と言って、コチラに謝罪も何もなく間違えて押した印鑑の上からまた真逆に印鑑を押し直されたので、

「おいコラおっさん。何しとんねん」

と言いそうになったものの、


「そうか!ココではこれが厄落としなんだ!」

と思い、直ぐにご機嫌になった何でも前向きに変換できる才能に長けている短気でポジティブな厄男こと小林です。


いや、むしろそう思わないと無理なのでそう思わせてくださいm(__)m





さて、タイトルのお話。



集客についての記事はこれまで何度も書いて来ましたが、ここ最近改めて集客についての相談を受けることが増えてきているので、集客のやり方ではなく、集客の本質について書きたいと思います。



集客とは、外に求めるものではなくて内にある。


ココが本質。



もちろん認知を広げるためには外への発信も必要です。


しかし自分1人の発信には限界があります。

仲間や友達、家族に手伝ってもらったり応援してもらうことも必要でしょう。


周りに認知活動のお手伝いをお願いするのは簡単ですし、頼めばやってくれるかもしれません。


でもそれじゃダメ。



アナタが頼んでいるうちは集客できない。

周りが能動的にならないと。


周りが能動的主体となり集客をする状態とは、

他人ごとが自分ごとになっている状態。


それを"公共する状態"と言います。



「応援してくれ」

「手伝ってくれ」


では、ただのクレクレ君。



公共するには、

周りを動かすには、至誠が要る。



至誠は行動に現れる。




集客できるかどうかは自分の内にあり、全て自分次第。




感謝。