日本の精神科は大変なことになっています。
タイトルにもあるように、なんでもかんでも発達障害にしたがる人たちであふれています。
精神科医、心理士、学校の先生、法律家…。
この人たちは何がしたいのでしょうか?
問題をおこした生徒がいれば発達障害。
授業に集中しなければ発達障害。
衝動的な行動があれば発達障害。
不可解な犯罪をおこした人がいれば発達障害。
治療が思い通りにいかなくなれば発達障害。
自分の説明をききいれてくれなければ発達障害。
同じ職場の同僚や上司でもあいいれないと発達障害。
患者さんの家族と話がかみあわなければその家族も発達障害。
こだわりが強い人がいれば発達障害。
空気が読めない発言をすれば発達障害。
自分の価値基準にあわなければ発達障害。
不注意な人がいれば発達障害。
忘れっぽい人がいれば発達障害。
精神症状があるのに発達障害の二次障害。
同僚だろうが家族だろうが自己中心的な人は発達障害。
まさになんでもかんでも発達障害にしてしまおうとするのです。
そして、今までその人に関わってきたあらゆる人が気づかず見逃してきた障害を自分が気づいた、見出したんだと自画自賛しているのです。
おかしいと思いませんか?
今精神科の世界ではこういう人がどんどん増えていて、誠実に臨床に取り組んでいる人たちは困っています。
こういう人達は自分の誤解や思い込みに気づかず、ますます自信をつけて、ネットや講演、学会などで間違った情報を流し続けています。
専門的な知識のある人からみればあり得ないような、思わず顔を赤らめてしまうような恥ずかしい誤解を得意げにふりまいているのです。
こういう人たちこそ、こだわりが強く、偏っていて、周囲が迷惑したりおかしいと思われていることに気づかず、空気が読めないのです。
臨床をしているなかで、色々な患者さんがやってきますが、過去に発達障害と言われて適切な診断も必要な治療も受けられないまま、どんどん不幸になっている人、家族もこわれてしまった人、症状がどんどん悪化して難治になっている人たちが増えています。
もし、もう少し早く治療を始めていればとか、きちんと再発予防の薬物療法が続けられてればとか、とてもいたたまれない気持ちになりながら日々治療にあたっています。
この人たちは自分こそは発達障害に詳しいとか、発達障害に気づけるとか、多くの精神科医は見つけられない障害を見抜けるとか、多くの精神科医が誤診している、などとまるで妄想のような信念を持っています。
そもそも発達障害とは、生まれつきの障害なので、幼児期におこってくるものです。
見逃されるものでもなく、目立たないものでもなく、気づかれないものでもありません。
ましてや"見抜く”ものではありません。
それは、本当に発達障害の子供を持つ家族のほうがよく知っています。そして、本当の発達障害の子供を持つ家族は、この人たちに対して疑問を持っていますし、怖いくらいなのですが、そういったことも想像できないようです。
この人達は幼児期の発達障害の子供をほとんど見たことないのでしょう。
誰もが見逃す程度のものであれば、そもそも障害ではありません。
この人たちの言っていることは矛盾だらけで、自分が何を言ってるのかもわからないのでしょう。
困っている人を助けることよりも、発達障害を見つけ出すという自尊心を満たすことが目的にみえます。
いくら症状が悪化しようが、家族が崩壊しようが、問題な行動をおこそうが、“発達の特性”などという意味不明な言葉でレッテルをはり、手の施しようがないと言わんばかりに見放してしまいます。
こういう人たちは臨床能力も専門知識も不十分です。
基礎的な知識もなく、素人以下であったり、そもそも社会的な常識すらないことが多いのです。
成長していく中で生じてくる精神障害と、生まれつきの障害との区別すらついていません。
この人たちのやっていることは、治療されるべき精神障害の人たちから治療のチャンスを奪い、本当の自閉症や注意欠如多動症の子供や家族に対する言われなき誤解や偏見をふりまいているだけです。
本当の当時者やその家族に対して不利益になることしかしていません。
ただでさえ肩身の狭い思いをしている当事者の家族が、とても自分たちの子供と同じ障害を持つとは思えないような人がやった行動や犯罪まで同じレッテルを貼られてしまうということがどれだけ恐ろしいことなのか想像する力もないのでしょうか?
自分の子供たちにはとても出来ないような社会生活を送ってきた人が、問題や犯罪をおかした途端に自分の子供と同じ診断がくだされるなど、どんな気持ちになるか考えたことはあるのでしょうか?
本当に相手の気持ちを想像できないのはこういう人たちです。
いつまでこんなことを許しておくのでしょうか。
今の日本で発達障害とさわいでいるのは、なんでもかんでも発達障害と言いだがる人たちと、発達障害と誤診された人や自己診断している人たちが中心で、本当の当事者や家族が置き去りにされた、いびつな状況なのです。