再建への努力と「店じまい」へのソフトランディング
~社長代行として最後の務め~
営業マンとして得意先へ奔走をしつつ、2012年からは社長代行(取締役)としての
守りの戦いも続きました。
そこでまず手掛けたのが仕入先・経費先との折衝です。
●あらゆるコストを見直してみる
これまでメインの材料関係のコストダウンは未着手でしたので、ここで初めて材料の仕入れ先様との価格交渉を進めました。先代からのお付き合い(しがらみ)もありましたが、場合によっては、供給元も変えざるを得ない事もありました。
また、通信費や光熱費等の経費面に対しても、これまでは補充的な位置づけだったこともあったり、この分野での価格交渉の経験があまりなかったので、本格的に見直しを図りました。
この部分でも、供給元も変えざるを得ない事もありました。
●下積み時代のスキルが社長代行で役立つ!
私はそれまでは、あくまでも事務的な立ち位置で、決定権は持っていませんでした。しかしこの時期から社長代行として決定権を行使して、決算書の作成等すべて税理士さんと交渉しながら最終作成まで私が行いました。
幸いに、入社後今までに実務担当者として財務内容の管理や資金繰り作成を行ってきましたので、この部分ではあまり苦悩せずに済みました。
●再度のピンチ!だが、それをチャンスに変えていく
2013年に再び鉄鋼業界に異変が起こりました。中国から安価の製品が入り始めたのでした。その為、急遽老朽化した生産設備の再構築を検討せざる得なくなってきました。
私はこの局面で、これまでの「生産・経理・設備」に従事し培って来た経験を活かし、工場の機械入れ替えと新機種の生産機械2台を導入しました。そして、今までに出来なかった製品を作ることができるようになりました。危機を機会として前向きに捉えて動いた結果でしょうか。
もちろん、そのために金融機関にも掛け合いました。そして、生産機器新規導入による投資効果などを訴求し、融資を得ることができました。そういった資金調達も私自身が行いつつ、大阪府の「ものつくり支援制度」にて、コンサルタント無しで何とか満額支援にこぎつけました。
↑新規導入機器。財政は厳しくても時には攻めの経営は不可欠
●全社員そして同業者とのコミュニケーション構築に尽力
また、取締役と言っても社長代行の業務の為、全社員とのコミュニケーションは不可欠でした。
以前までは、生産部門と事務部門だけのコミュニケーションで済みましたが、この頃になると営業部門の協力がなければ経営は成り立たなかったので、特に気配りが必要とされました。
ですので、とても神経をすり減らしましたが、会社を守り抜くには弱音を吐いてはいられませんでした。
同業他社との交流である各地区の協同組合や連合会への参加によって、同業他社の交流を深め、自社で出来ない製品を融通して頂いたり、他社からの製品融通をしあったりで、共存共栄の思想で親交を深めました。また、群馬県や鳥取県、広島県などの遠隔地の同業他社同志でも製品融通を行いました。こういった行動が後々結果になって現れると思います。
●遊休資産の売却・・・人情に思わず涙が
滋賀県に約5000坪の遊休地があり、その固定資産税も大きな負担でした。これも1999年頃から、県内の地元業者さん等の交流会などに参加して、仲介人を通じてこの土地を使ってもらう活動を進めていました。そして2015年に足掛け16年で売却することができました。正直、それ程需要がない土地を買っていただくには粘り強い交流を重ねるなど、根気のいる事でした。
5000坪のうち1000坪は、仲介人さんが直接「2000万ぐらいだったら、僕が出してあげる」と言ってくれました。これほど嬉しい事はなかった。泣いて喜んだ。
取締役統括MGの肩書での活動として、正直「成功体験」と胸を張れるような事はあまりなかったと思います。
強いていうなら「会社を守り切った事」が、私の成功体験かも知れません。
何よりも、普通のサラリーマンがまずやらない業務などもすべて経験出来ました。
これも14年にわたる下積みの実務実績があって出来た事であり、苦境にある会社に必要と思われる改革すべてを断行できたのではないかと思います。


