マーチャンダイザ-として活躍していた盛りに急遽家業へ転身
~心と身体、汗まみれで奮闘~
マーチャンダイザーとして活躍していた盛りに、急遽家業である金網製造会社へ転職することになりました。
自分としては、やっと仕事が板についてきて、愛着が湧いてきた時期だったのですが・・・
(同社の経営者であった父親の病気にため将来自らが支援する必要が出てきたのです。)
●一からの出発!まずは製造現場で見習い
入社してからは、生産部門に1年間所属して一から見習いとして働きました。
同社は土木製品と建築金網を製造していましたので、製品そのものの知識や、製品を造る機械などを、「いろは」から勉強しました。
私自身も勉強しながら「ものづくり」の面白さを感じました。例えば「どのようにすれば綺麗で、クライアント様に喜んで頂ける製品になるか」を考えることが楽しくなり、私自身が考えたアイデアも提案しました。
自分のアイデアを形にした金網試作品
2年目は、生産部門を卒業し、業務部門に配属となりました。
業務部門での初めての使命は「日本工業規格の品質管理責任者の取得」でした。
そして、資格取得後に「工場への生産指示」「製品・材料の入出庫」「品質管理」の業務に従事しました。
電話応対をしながら、得意先様からの製品受注も行い生産部門を離れても、常に生産部門の方との交流は欠かせませんでした。将来、会社を背負って立つ人間になるかも知れないという覚悟はありましたが、まさに目が回る忙しい毎日でした。
さらに3年目以降は、急な役員変更もあり、急遽課長の肩書にて業務を行うようになりました。
また、「日商簿記2級」を取得していた事もあり、銀行や税理士との折衝、資金繰り作成も任されるようになりました。この時に会社のお金の流れを掴むことが出来たと思います。正直「うちの資金繰りはかなり厳しいのだな」と感じました。
その年、日本品質管理機構の監査がありました。急遽の為、引継ぎも行われないままでしたのでかなり不安ではあったのですが、わからないことは人に訊き、どうしてもわからないことは自分なりの考えで進め、更新を無事にクリアすることが出来ました。
この業務は3年ごとの更新に発生しましたが、本当に精神的にも肉体的にも消耗しました。
なぜなら、もし更新が出来ないと、JISマーク品での出荷が出来なくなるからです。
また、毎年発生する社会保険業務の手続きにも従事し、算定基礎届の作成や、労務災害の対応のために労働基準監督署にも出向いたり等、各方面での業務に従事し、「何でも屋さん」でした。しかしながら、限られた時間でこれらをこなさければならなかったため、自分で段取りの工夫をしてスキルアップに繋がったと思います。今となっては良い経験でした。
●業界全体を激震が走る!
それでも出来ることは全てやりきる!
そして入社4年目の2001年。鉄鋼業界全体に激震が走りました。国際市場の急激な単価下落があったのです。当社も例外なくその嵐に巻き込まれました。
そのため、急遽人員の見直しと、製造原価のチェックに迫られました。
まず、製造に関しては、再度材料の入出庫の見直し、本当に必要な分のみの材料発注の徹底や、生産ロスには厳密にチェックし、生産部門の方に再三のお願いに回りました。
生産数量、効率化も図り、当時自分に出来る範囲で様々な取り組みをしました。例えば、ストップウォッチで、時間当たりの生産量の計測をしたり、レイアウトの見直しなどでコスト削減の知恵を出しました。
また、まず足元からできる事として、契約電力量の見直しを行い、電気代の低減に努めました。そして幸いなことに同業他社様とのお付き合いもあり、工場見学にも行かせて頂いて、色々アイデアを頂きました。
これらの取り組みが功を奏し、材料費以外での製造原価を20%低減することに成功しました。
●営業部門として奮戦!得意先の奪還へ奔走
そして入社7年目、営業部門で人員欠員が出たため、兵庫エリアの営業担当に任命されました。
3年前の製品単価下落の影響で貴重な得意先を喪失したため、営業を強化する必要がありました。
とにかく前任者の倍近く得意先回りに稼働をかけ、前担当が行わなかった提案をしました。具体的には生産部門在籍時の経験を活かし、土木向け金網の施工指導を担当エリアに限らず近畿2府4県で行いました。
その甲斐あってか、営業を始めて1年ほどで得意先様が戻って来てくれるようになりました。
それと並行して新規開拓も積極的に行いました。
これまで行ってなかった官公庁や関係する代理店さんへの営業も始め、何とか自社の製品を採用して頂けるように販路を拡張しました。
結果、兵庫エリアの売り上げはこの1年間で約20%程度増えました。
独自提案した土木向け金網の施工指導例
ここまで多くの時間を要したものの、「生産・一般事務・経理事務・品質管理・営業」などすべての面での業務を一通りこなせるようになりました。そして、2012年より病に伏した社長に代わって「社長代行」の執行役員として、会社全体の立て直しを手掛けるに至りました。今まで複数部門に跨って培って来たスキルがこの後、生かされることになります。



