連作の様なblogです。
宜しければ、ご覧ください。
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結局のところ、
生きる事(死ぬ事も)は「春夏秋冬」と同じだな~と。
自分も含め、多くの今までの人間は「春夏」ばかりを追い求めてきたし、
絶賛追い求めている人がいるという事。
善し悪しの話の様な薄い話では無くてね 笑。
「秋冬」を知った上で、「春夏」を楽しむ人と、
「春夏」しか知らず、「春夏」を楽しむ人では、
絶賛「深み」が違う。
もっと言えば、
本日の様な「雪が嫌だ」、「寒すぎて辛い」という人もいれば、
「雪遊びやウィンタースポーツを楽しめる!!」とい人もいるし、
「雪が降り、溶けることで木々に浄化され、
私達の飲み水が確保されたり、
農業を営むことが出来る」
(コレ、私 笑)
…
と捉える人もいる。
結局は
仮に同じ事象が起きても
「解釈でしかない」という事だし、
人生においての「秋冬」の時は時で、
「そういう時期だから」
といって、それに合った生き方に
自身を変えれば良いという事なのだろうと。
脳科学で
「脳からの指令が先」で後から
「自分がやった」という意識、
「感情や思考が浮かぶ」、
「理由付けをしている」
という事が分かってきた。
つまりは
「自分がやった」は錯覚で、
精神世界でも脳科学でも言われている
「人間に自由意思はない」
(宇宙全体で、すべての事象は、
意味なく、勝手に起きているも同義かなと。)
というのは、
そういった視座で言われているという事。
とは言え、
「自分がやった」という感覚は
自我、肉体を持っている以上は無くなる訳ではないので、
飲まれ過ぎずに、
共に面白可笑しく付き合っていくだけですけどね。
せっかく各々、分離感がある訳ですから。
季節は自然現象そのもの。
つまりは選べない。
おそらく、人生の春夏秋冬も選べない。
なので、
ずっと「春夏」で人生を終える人もいれば、
中には「秋冬」で人生を終える人もいるのだと思う。
しかし、
いずれにせよ、
陰陽のサイクルや
「自我の消失」=「死」にて、
春夏秋冬は終わりを告げる。
「ずっと続く訳ではない」
という事。
(「死」を美化している訳ではありませんよ~。
それも勝手に起きる事。)
更に、これらの事にたった今、
思い出したり、感覚的に気づいたりしたとしても、
「これで自我とサヨナラだ」、
「感情や思考に飲まれる事もない」
という訳ではない 笑。
「自分がいる」、「自分がやった」
という「錯覚の感覚」はず~っと伴うし、
感情や思考も
「すべて勝手に浮かび上がってくる」。
誇示するものでもなければ、
飲まれる必要もなければ、
ましてや、肯定も否定するものでもない。
「ただ在る」訳で。
絶えず変化し、
浮かび上がってくるものに対して、
「浮かび上がってくる感覚、感情、思考が在るね~」
と観察していれば良いという事。
これらは
「各々の内面でしか分からない」。
つまり、
同じ体験をしても、
「各々に浮かび上がるものが異なって当たり前」。
これが
「一人ひと宇宙」
たる所以。
「誰一人例外なく、
創造主」
たる所以。
つまりは
自分も他者も実は固定化されておらず、
外側で起きる事と同様に絶えず変化して当たり前という事。
結局、宇宙全体で動いているという訳 笑。
実は、
内面宇宙を無言で観察している、
見守り、許している存在が、
「真の自分」な訳ですから 笑。
(本当はそれもいないけど、「全体」だから 笑。)
「自我(自分)は何でもコントロールしたい!!」
という欲求が強いので、
「自分」という感覚が失われる事に抵抗する。
そこに「感情」、「思考」、
特に「二元的ジャッジ」に結び付け、
「相対性」を仕立て上げ、「自分」を作り、
そこで「安心する」仕組み 笑。
外側は「自然」なので、
絶えず、意味もなく、変化し続ける。
自我は
今までの宗教的ピラミッド構造の中での教育、資本主義、貨幣経済の中では、
分離意識を強め、コントロール欲求を強められ、
「自分がやった」という錯覚の達成感や刺激、快楽を欲しがり、
はたまた、
善悪、優劣…の様な二元的ジャッジを行うことで
「固定的な自分」という「不自然」な感覚を植えつけ、
ある種の「安心」を得るという訳です。
(そうやって生きても勿論OK。
ただ二元的ジャッジが付き纏うため、
苦楽がセット。)
それが極まると、
既得権益がシステムの中に蔓延する。
それらが限界に達しているので、
昨今の宗教、政治、芸能、メディア、大企業…
「古い社会構造の崩壊」
が起きているという訳です。
これらは時代の変化による
「各々の内側の新しい時代に不要なものの崩壊」
が起きている事と同義。
「うつしよ」
ですから。
結局のところ、
これらの崩壊は内部からまだまだ進みます。
もちろん、意味なく、勝手に。
すべてに後付けで解釈をつけているのは
各々、「自分」
ですから。
逆に言えば、
物理法則はあるにせよ、
「勝手に解釈をすべてにつける事が出来る」
とも言えます。
つまりは
「解釈を好き勝手つければ、
どんなことでもラッキーや幸せに転換できる」
という事。
それらの
「思考グセ」、「観点」、「視座」は
自由意思が無いにせよ、
変えられるかもしれませんよね。
「ポジティヴが良くて、
ネガティヴがダメでもない」。
どちらも存在するから、
色々と感じる、勝手に湧き起こる事に深みが出る訳です。
「春夏」と「秋冬」の様なものです。
季節に良し悪し無いでしょ⁈ 笑
おそらく、
すべての事は意味なく、勝手に起きていて、
「人間の幸せ、幸福感」と「宇宙全体のそれら」は全く異なるのだと感じています。
宇宙全体は「在るがままに、ただ在る」。
つまりは
「今、常に完璧な状態、バランスで存在している」
という訳です。
それを「無」が愛で見守っている構図。
この地球という星は
「すべてが赦されている」
という
「愛の星」
赦し=愛。
全てが赦されているからこそ、
人間的観点からすると、
勝手に無意味に大変な事や、
とんでもない事が起きたりもする訳です。
しかしながら、
本当に重要な事は
「それらに直面した時、内面で何が勝手に湧き上がってくるのか…。」
そこなのかなと思います。
その観察と見守りが…。
どんなに「悪」と直面したとしても、
絶対的な否定はできないはずなんです。
なぜならば、
「自分の中にも「悪」は絶対的に存在しており、
もしかしたら、何かの拍子で
「その「悪」に自分も飲み込まれる可能性も
ありうるから」。
(と言っても、犯罪等を助長したい訳ではありません 笑)
はたまた、
「悪」を外側で体現する人がいるから、
「善」が何なのかを
深く感覚的にとらえる事が出来る。
人によって、それらが異なる事にも気づける。
どうしても、
三次元の現世では「相対性」でしか、
表現が出来ない様になっています。
つまりは
片方だけを知識で知っていたとしても、
体験や内面観察を通してでないと、
本当の「それら」を刻むことは出来ないと
私は感じています。
様々な体験、経験をし、
気づきや思い出しが多かったり、
はたまた、
内面をよく観察、見守ってきた方々というのは、
深みや愛の体現としての存在感が強い気がします。
自我のない、
小さい子ども達ってそうじゃないですか?
人間社会のルール的には「残酷」だったり、
「ダメな事」を平気で沢山しつつも、
ニコニコしているじゃないですか? 笑
しかし、
それを大概の場合は赦しますよね?!
その子自自身も周囲も。
お互いに「愛」を体現している。
そういう事です。
「自然」ですから。
結局のところ、
私たちは「今をただ生きる事しか出来ない」という事。
そして、
各々に在る「内面の観察者」の視点で、
自分の中に勝手に湧きおこるすべてを観察し、
「在る事を赦し」、
味わう事が大切なのだと思います。
そこに「Do」(する)を直結させるではなく、
「Be」(ある)が重要。
そうなると、
「結果」よりも「過程」を大切にする事になるかなと。
正直、
今までの社会システムは真逆でしたが、
既存社会システムの限界がきており、
若い世代の存在や思想によるところ、
AI、ロボット化による「人間=労働力」、
「労働=お金を稼ぐこと」では無くなりつつある。
…
これらに因り、
変革が起きてきているので、
本当に時代の転換期を迎えています。
今までの「昭和的価値観」で生きる人がいても、
人それぞれなので良いのですが、
多角的に見ても、
大変で苦悩を自分で沢山生む様な生き方に
なるのだろうな~と私は感じています。
おそらく、
2025、26年も「噓でしょ!!」という事が
まだまだ、色々起きると思います。
表に色々出てくるでしょう。
まあ、先述した事もご参考にしていただけると、
いちいち起きる出来事に振り回されず、
感情や思考グセにも振り回されずに過ごせるのではないでしょうか。
~~~
ここからは 個人的な事も含め。
2019年後半位からは
「仕事」や「経済的」な観点からみると、
個人的には「秋冬」といった感じ。
なかなか長い冬です。
2019年の台風から始まり、コロナ禍の約3年半。
そして、今も。
後悔は全くないのですが、
ポイントポイントで色々と試行錯誤を重ねたりしても、
なかなか上手くいかないと感じる事が多いですし、
「ミッドライフクライシス」もぶち当たったのか、
モチベーションも現在も含め、
上がりきらないというのが、正直なところ。
(まあ、以前に綴った不正利用案件もそうですね~。)
とは言え、
今年に入ってから、
新しい出会いの場に足を運ぶ機会が増えたり、
新たなクリエイターさんから、コラボイベントのお声がけを頂いたりと、
少しずつ「内面も含め、時代の変化がやってきているのかな」と
感じていたりもします。
また、
あまり不快な人に出会わなくなったり 笑、
距離が遠ざかったり、
もしかしたら、
気にならなくなっただけなのかもしれません。
逆に、
精神世界の事を知らなくとも、
人生経験の中で、
いつもここで綴っている事に到達したり、
世界の方向性の話をご存知の方と出会う機会が
増えたりと面白いとも感じています。
私の観点や視座も変化したが故かなとも。
「仕事」や「経済面」という視点からすると
「厳しい冬」
という感じで、
正直、コロナ後にずれ込んだ、
まだ後処理も残っていますが、
プライベートでは息子が誕生もしましたし、
コロナ禍は経済面含め、
喧嘩も一時期は絶えませんでしたが 笑、
妻との結婚、存在もあった事で、助けられ、
高齢の母も仙台から呼ぶことができ、
サポートもしてもらいつつ、
家族に精神的にも物質的にも支えてもらい、
何とか生かされてきたといった感じです。
また、
仕事の合間に時間が出来たことで、
初期は恥ずかしながら、
陰謀論に吹き上がってみたりもしましたが 笑、
こうやって、
有益な情報に出会い、
「物質的」にも「精神世界的」にも
理解を深め、
「時代の転換期である」事が分かり、
多角的に物事を捉える視点、
それらをお客様方にもお伝えする様な豊かな時間を頂いたとも言えます。
AIに対する理解も少しずつ深められているので、
その点も含めてですね。
結局のところ、
ありがたい事に
様々な事をコロナ禍でも沢山の方々に赦してもらい、
お店もまだ在り、
自力ではなく、他力で運良く、生かされ、
奇跡の様な日々を送らさせてもらっているという事を改めて感じている次第です。
結局のところ、
奇跡的な事も勝手に起きたり、
「ツイてる」と思ってます。
色々ありますが、ただただご縁に恵まれており、
ありがたいなと。
まあ、とは言え私も人。
昨日は色々と積もらせてしまい、
「さすがに心折れてきた」と妻にこぼしたところ、
「じゃあ、お店やめる?破産する?」
と言われ、
「やめてほしいの?」と私。
「うん!!」
といたずらに言われたので、
「やだよ!!」
といつの間にか言い返していたので、
自分でも少し驚いてしまいました 笑。
彼女は
「パパはセンスを使って、好きな事をして、
力を抜きつつも、色々な事を試すし、
行動に移すし、
よくやるなー、大したもんだと思ってる。
何より今のビヨンドもトリーチェは本当に良い店だよ。
私は絶対に大丈夫だと思うよ。」
とおこがましいですが、言ってました。
とてもありがたい存在です。
とは言え、
先述の様々な知識や精神世界の探求により、
色々と感覚的に思い出さなければ、
ず~っと「どうにかしなくては」という「Do」にだけ縛られ、
頑張り続け、自身を疲弊させ、
こんなに余裕はなかったとも感じています。
はっきり言って、
「冬には冬の過ごし方があり、
じっとする事や雪解けを待つことがメインの時もある」
という事も分かったからです。
ハンドリングが自分に在る訳ではなく、
放っておく事は放っておき、
変化を受容し、変化し、
目の前にある事を淡々と粛々と行い、
湧きおこる内面の観察を堪能する事が大切という場合もあるという事。
願わくば、
fizz BEYONDやTRICEは気が済むまで続けたいのが本望ですが、
昔ほど握りしめた状態ではないのも確かです。
理由は
「外側で勝手に起きる事を信頼する事」
を覚えたとも言えます。
「自分」という物差しが錯覚な訳ですから、
「委ねる」事が大切な時もあるという事。
もちろん、
理由なく湧きおこるアイデア、行動に委ねるという場合もありますが、
結果というよりも
「内面観察」や「プロセス」に主体を置くようになりました。
そこは、
「冬の時期」に人格として成長したのかもしれません。
自身も赦す事が増えた分、
他者への赦しも増えた様に感じますしね。
これだけの大きな時代の変革期、
まあ正直言いますが、
もしかしたら、
お店も会社も勝手に私を通り抜けてゆくかもしれません。
もちろん、流れに委ねつつ、
やれる事はやってきましたし、やれる事はやりますが、
こればかりは誰にも分からないです。
宇宙的な視点では、
今の私には必要無いかもしれませんしね。
(まあ、今在るので、今は必要なんでしょうが 笑。)
勿論、こんな時代でも無風の人もいますが、
大きな既得権益の恩恵に賜り、
そこから派生していた、いる団体、個人が崩壊し、
それらの影響を受ける可能性のある方々もいる訳で、
これらは誰にも等しい状況にあり得る程の
既存システムの崩壊と
新しい時代へ向けての方向転換を実行している方々も同時に目立ち始めています。
ですから、
中には取り乱す方も出てくると思うのですが 笑、
そういった方向には意識を向け過ぎず、
変化の中にあり、新しい時代の方向性を意識しつつ、
諸行無常の中に在る中で、
今を淡々と粛々と生活すると良い気がします。
その参考になる内容を綴っているつもりではありますので。
世界全体では、
金融リセット、グレートリセットに気付いていないのは日本人位らしく 笑、
私の周りでもご自身で事業をやっている方の多くは気付いているといった感じです。
まあ、AIも2.5週遅れで、情報にも疎い。
自然の中に在り、
循環という概念を外に置き忘れ、
点数の上下の様に企業では業績や給料、査定の様に
上下運動の物差しでしか、幸せの尺度をはかれなくなり、
右にならえ的な、
軍隊教育の延長を学校でも、企業でも多く教育され、
昭和的な創造性の欠けた感覚で生きてきた方々
まだまだ多数の日本。
勿論、私もそういった時期があったから綴れる事。
しかし、
若い子たちや震災時での日本人の行動を見ても、
精神性の高い民族性が発揮されている訳なので、
のびしろは相当という事。
他国はAIを導入している中で、
マンパワーで経済活動を行っており、
GDPの上位に居座っている事も凄いですよ。
ホント。
ただ、GDPという概念も
「物差し」の一つでしかないので、
それが幸せの尺度となり得るというのは、
今後、一部の人たちの価値基準でしかなくなる
とは思いますけどね。
まあ、
個人的には面白い時代になってきましたが、
自我を手放す時まで「長い冬」が続かなければ良いな~と思いつつ、
「今は人生の冬」という感覚の中で生きているタカハシでございます 笑。
サレンダーしつつ、
軽~く、
味わい、
変化し、
淡々と粛々と生きますかね。
そして、最後に。
「無」があるから、「有」が存在出来ているんです。
更に
誰一人例外なく、
ずーっと、その「無」は無言で各々を見守ってきてくれたし、
常に見守ってくれているという事。
つまり、
「愛」の中で、どんな時もずーっと生きてきたという事を思い出してくださいね。
これを忘れている人たちが多かったのが、今まで。
段々思い出したり、
若い世代の様にこれらを感じたまま在る人たちが増えてきているという事です。
常に愛されています。
誰一人、すべての存在例外なく。
ご覧くださいまして、ありがとうございます。