報道されたのが、ずいぶんと前だったのですが、
実家もありますし、
やはりずっと気になっていたので、
仕事の合間に
お電話をしてみました。
一番気になったのは
「水質」
と
「料金」。
今回は10社ほどを取りまとめているグループ会社への事業売却という事。
(その内の一つが外資といった感じなのかな。
株主は見ていないので、「実質外資」も有り得るかもしれませんが…。
TOTOなんかとも、間接的には関係がありそうです。)
そして、
水道管等の管理はそのまま県で行うらしいです。
あくまでも
「県としての水の管理」
の事業を売却するという事なのだそうです。
そして、
宮城県の水の管理は少し特殊だそうで、
「県で管理している水」
↓
「各市町村のタンク」へ
という形式をとっているそうです。
その各市町村への引き渡し時の水質、基準値の管理までを
民間へ売却というのが、
今回の流れだそうです。
そこからは、今迄通りで各市町村による基準値で各家庭へと提供されるとの事でした。
まあ、今後その「各々の基準値の変更」等に関しては、
県民が注目しておく必要はあるのかもしれません。
料金に関しましては、
海外の民営化の事例を見ると、
料金が数倍にも膨れ上がっている事例が
幾つもあったので、
最初は驚いた訳です。
(この質問がやはり多いそうです。)
今回の売却に当たり、
その点は問題と言う認識は県もあったそうで、
丸投げであったから、そういった事が起きた訳で、
県議にかけて、その採決が無いと
勝手に料金を上げる事は出来ないというシステムにしてあるというお話でした。
(私の意見として、
現在、正直今回のコ〇〇ウィ〇〇の対応に於いて、
政府や県の権力集中が顕著。
(そこは皆さん否定しない 笑)
その中で、幾ら間接民主制とはいえ、
県議での強行等が行われなければ良いのですが…
というご意見もお伝えさせて頂きます。
ともお伝えいたしました。)
とても丁寧な対応の方で、分かり易いご説明を下さいました。
ご参考に。
こちらに記載されている様に報道の仕方も問題ですし、
テレビやネット(Youtubeも含む)、各媒体のすべてが正しい訳でも無い。
やっぱり、ネットやテレビだけの情報だと不十分なんですよね…
ですから、
「できるだけ、直接問い合わせる」
という事を自分はしています。
(それで確信出来る訳ではありませんが、
「直接的に動いて知った情報」という事で、
信用度は自分としては高くはなりますよね。
相手の呼吸、声、間合いでも察する部分もある訳ですから。)
このご時世、
現在の世の中の状況を利用し、
分断や争いを煽って、
大切なことから目を背けさせたり、
フェイク画像、動画や工作員も多いし、
宗〇や何かしらの団体に取り込もうと
動いている人達も増えているので、
情報の精査が必要です。
まあ、私みたいに見すぎも良くないとは思うのですが 笑 、
「労働力としての自分」、
「役割としての自分」
にばかり目がいってしまい、
「自分として、どう生きたいのか」
そこから、ズレている人も少なくない様に思えるんですね。
「ハンドリングを他人に任せてしまっている」
「自分自身に興味を持つ時間、心の余裕すらない」
そういう社会をあえて形成されてもきた訳です。
「自分はこう生きたい」
という指針があれば、
「自分の身は自分で守ろう」
ともなるでしょうし、
情報や少なくとも政治にも興味を持つとも思います。
今はお金は多少ならずとも必要な世の中だと思いますが、
指針があるからこそ、活きるのに、
稼ぐから活きる訳ではないと思うのですよね。
例え稼げても、
何も指針が無かったり、思考せずに生きては
全く意味がないと言えるのではないでしょうか…。
「空っぽ」でしょう…
流されて生きるから、
心が満足しないとも言えるか。
(だから、
例えば不安感を貯蓄で埋めたり、
愛の渇望をパートナーの従属や子どもの従属に置き換えたりね…。
自分で自分を満たしていないのだから、
当たり前ですよね…。)
結局
「メディアは大衆誘導ツール」。
情報の鵜呑みはもう(既に)危険かもしれません。
その魚に毒があるのか、ないのか…
例えあっても、
解毒の仕方は?
「調べる」という行為は「可能性の発掘」でもあり、
自分の中で道しるべを自分で作る事が出来ますからね。
それに何よりも
「自分で調べて、動いて」であれば、
どの様な結果になろうと
「後悔が無い」
でしょう?
それがすべてだと思いますからね。
~~~
さて、話題は変わりまして…
頭蓋骨に穴を開けてまでして、何かしらを埋め込み、
外部のデバイスと繋ぎたいみたいですね…。
これが出来る様になれば、
「私が私でなくても良い」ですし、
「もっと言えば、「記憶の書き換え」」、
明記している通り、
「各々の交換」
等も簡単に出来てしまう訳です。
思考もすべて読み取られたり、データで管理されるのでしょうしね。
様々な映画やアニメ、マンガ等の世界…
しかし、
それらを現実化として、
「内閣府が政策として打ち出している」
という事。
ヴァーチャルリアリティの世界への
意識体やエネルギーとしての移住であり、
「死と生の超越」
とも言えますね。
そうなんですよね~。
もしかすると、
本当は私の想像を遥かに超える素晴らしい事なのかもしれないのですが、
「コレ、自分は望んでいないのだけれど…。」
というのが、本心です。
やはりこういった方針を打ち出している、
はたまた、コ〇〇騒動での言動、
本来5年から10年かかるはずのワ〇〇〇を緊急事態を名目に流通させる事が出来、
「任意」にも関わらず、
「キャンペーン」の如くの宣伝、
「半強制かの如くの同調圧力を作り出す空気感」
…
権力者や利権、
様々な派閥や人達の思惑が錯綜している様も垣間見える訳ですね。
勿論、
その中ででも
「抵抗したり、ヒントを出したり」
私達に対して、
そういった部分も垣間見える時もあります。
ただ、総合して、
「信頼して、従います」
とはなれないのですよね。
(やっぱり増えていますよ。
もう権力の傀儡でしかないので、
「自分の身は自分で守る為、
「言いなりではね」」
という思想の方々。)
改憲、緊急事態宣言、条項に対しての動きや
世界連邦政府の樹立も含めてね…。
コ〇〇騒動やワ〇〇〇だけの視点で見ていても見えないのよ。
本当に…。
~~~
ず~っとこういった内容を綴っており、
「服は?」と思う方々も少なくないとも思うのですが、
やはり
「衣食住」
を楽しむ前提として、
「心身の健康」
と
「平和」
はとても重要な要素だと思うんですね。
更に
「「自分」、「自分がどう生きたいのか」を知った上で、
服も纏わないかい?」
それらを
「今のタイミングで思考せずして、いつ思考するのでしょうか?」
そのタイミングだと思っている部分もあります。
日本人は特に、
自分で税務や所得の申告をする訳でも無い人達も多く、
「どこかに所属する」、
「守られる事が当たり前」
「報酬は他者の評価で決められ、毎月決められた分の収入のみ」
という教育で育てられたり、生きがちです。
(理解できる部分も勿論、私もありますよ。)
だから余計に、
政治や社会システムへの興味は必然的に薄くなり、
「お上には従って当然の風潮になりやすい」。
それが特有の
「同調圧力」
となり、全体に影響を与える訳だ。
国家権力が暴走をし、
それにまんまと乗せられらのが、
「第二次世界大戦」。
メディアも統制され、
多数派に押され、
戦争に反対する人たちは
「非国民」
と言われた。
従わない者達は抑えつけられた…。
現状に非常に似たものを私は感じるんですね。
「それを私達も繰り返しますか?」
というところまできているのではないかと思っています。
ただ、
今のご時世で良い側面は
「各々の思想をしっかりと持ちつつも、
適度な距離感で情報や思想を共有できる
「ネット」
というものがある」
という事。
両刃の剣では勿論ありますが、
それを一番、権力者達は驚異に感じていると思います。
(すべてを潰す事は無理だからね。)
何が正しいのか、間違っているのかは
正直、各々が判断する事。
どちらかというと、
自分で考え、自分と向き合い、行動する事に繋げるタイミングだと思っているという事です。
その上で、
「毎日一生懸命に楽しく生きました」
となれば、
後悔などない訳です。
(〇ィル〇、ワ〇〇〇だけが体を手放す要因では無い訳で、
今迄の概念であれば
「いつかは体を手放す」
という概念と隣り合わせであった訳だし、
「侘び寂び」
という日本の情緒や精神性もここに在る訳だ。)
それもまた生き方の一つではありますが、
流されていたら、いつの間にか自分の意としていないところに辿り着いた…。
「長いものに巻かれたのに!!」
「~が言っていたから、そうしたのに…。
こんなはずじゃ!!」
…
それは、自分の生き方を他者にハンドリングさせていたという事でしょう?
それは文句は言えませんよね。
ですから、
私も人間なので、
「これが正しいとは思う」
という思想はありますが、
ここに綴っている事を
「盲信しないで下さいね!!」
とも思ってもいます。
ですから、
「自分ってなんなんだろうな、どうしたいんだろうな」
という考える契機の一つや判断材料にしてもらえればなというところなんですね。
それと、
私が綴っている様な事を話したりすると、
「変人だ」とか、
「何かに洗脳されているのでは」
という人もいますよね 笑。
ですから、
「別に自分には、お話頂いても良いですよ~」
といったところもあります。
やっぱり
「同調圧力の強さ」
は私も感じますからね…。
あまり気にしていませんけどね 笑。
だから、
理解出来ますよ。
例えば、
ワ〇〇〇を打った方々の立場だったり、否定的な方々も。
皆打たないから、終わらないんだろう、
接〇者から排毒作用が働き、それらにより誰しもが影響を受けているんじゃないかとか。
ただ、
「本当に接種しないから、拡大しているのかもしれない」し、
「調べもしないで、何故それを人にも勧められるのか」、
また、
「分からない事も多い」し、
栄養素や食事の仕方で大丈夫なのかもしれないし、
実は特効薬もあるかもしれないし、
調べた人達の思った内容ではないかもしれない。
各々の
「見解がある訳」で、
そこで分断をしても仕方がない訳ですよ。
それよりも
「自分が納得して、この選択肢を選んだ。」
だから、こう生きる。
それを各々が汲み取り、理解し、
極端に干渉し過ぎなければ良く、
共存共生してゆく事が大切なのかのとは思います。
ただ、なんとな~くではありますが、
同じ世の中に存在しながらも、
「違う世の中に存在している人達と話をしている様だ」
と各々が感じる機会は増えている(きている)のではないかとは思っています。
これは「分断」とは違う感覚で、
「各々の生き方の違い」
ただそれだけで、
すべての人達が「正しい」という事。
「近しい、はたまた全く異なるけれど、受容し合える生き方同士」
の方が、更に楽しい世の中になるのではないでしょうかね。
長々と綴りましたが、
深刻に受け止めず、
「こう生きたいな」
「こういう事にチャレンジしたいな」
「これやってると楽しいな」
そんな事が浮かんだら、
やってみたり、突き詰めてみたりすると良いのではないでしょうか。
受動的ではなく、休みながらも能動的に…。
情報は精査しながら、
自分の方向性をブラッシュアップしてゆけば、
後悔なく生きれるのではないでしょうか。
「自分はこう生きたい」
それがあるからこそ、
衣食住や労働、休息があるのではないでしょうか。
今迄の教育や人生観も含め、
反省も含めつつ、
逆だった様に感じます。
「労働力」、「従属者」、「団体の中での役割を持つ者」
ではないという事。
やはり
「私は私」
という存在なんですよね。
それを大切にする事だと思います。
それでこそ、他者を尊重できるのかもしれません。
各々が異なって良いですね。
※
8/21, 22はfizz BEYOND Molti 1FにてPOP UPですよ~。
11:00~17:00迄となります。
宜しくお願い致します!!