昨日、福島市よりいらしたお客様がウチのスタッフと話をしていた時に
お客様がこうおっしゃっていたそうだ…
「先日東京に行った際、あるお洋服屋さんに入って店員さんから「どちらからいらしたんですか?」と聞かれたか
ら「福島県です」と言ったら、あからさまに凄く嫌な顔をされたのよね…」と凄く寂しそうな顔をされていたそう
だ…。
ずっと「安全で便利なモノ」と言われたモノが意図的にではなく、
突然「不利益(不都合が正しいのか?)なモノ」に変化し、
それを抱えていたり、近辺にいる人間達まで同一にカテゴライズされ、同様に「不利益(不都合)なモノ」にされ
る…
その論理からすれば、俺自身もそうカテゴライズされる。
じゃあ、昨日は出張に行ってはいけなかったんでしょうね、俺は…
でも、俺は言いますよ、別にみんな不利益なモノでも不都合なモノでもないよ…
同様に生を与えられて、必死に生きようとしている一人の各々人間ですよ…
それが認められないというなら、どうすれば良いのでしょうか?
生きる権利がないのでしょうか?
あったとしても差別を受けながら生き続けなければいけないのでしょうか?
誰しもがそんなに初めから人間は完璧な生き物なんでしょうか?
実際、自分も含めてどれくらい放射能や原発の事を知っているのでしょうか?
無知が嘘(不確かさが正しいのかな?)を生んでしまっているのか…
言葉の足りなさが嘘になってしまっているのか…
それよりももっと大きな何かを覆すために嘘が産み落とされているのでしょうか…
何が嘘で何が本当なのか…
無知である事、目に見えない物、恐怖心を何か一つのせいにして、簡潔させようとする事は正しいのだろうか…
しかも、不確かにカテゴライズされたものがすべて悪い…それですべてが解決して、収束するのだろうか…
俺はなんだか、それは安直で悲し過ぎる事だと思う…
大人だって傷つく、色々な事を挫かれる…
さらに、未来を担う子供達が負う心の傷は大きいんじゃないだろうか…
子供は素直だから時に凄く残酷だ…
すぐに大人の真似をする。良い事も悪い事も…
悲しい未来は作られて欲しくない…
俺はガキの頃、よく親に言われた…「自分がされて嫌な事は他人にするな」ってね…
※こちらの文章をご覧になり、不謹慎に感じられる部分があるかもしれません。
その様に感じられてしまった方には心よりお詫び申し上げます。
あくまでも個人的な意見ですが、不適切に感じられる表現、内容がございましたらば重ねて心よりお詫び申し上げます。
fizz BEYOND & TRICE 高橋