という訳で、

昨日、「久々にやろう」と思ったところ、

7月以前に規約変更があったらしく、

「フォロワー1000人以上いないとインスタライブ配信出来ない」

との事。

 

という訳で、

フォロワー1000人になるか、

再度規約変更になる迄はインスタライブお休みです 笑。

 

正直、結構楽しみながらお届けし、

遠方、身近なお客様方とのコミュニケーションツールになっていたのと、

アーカイブ含め、

スタイリング、商品紹介をご参考にして下さっていた

お客様方もいらしたので、

残念な部分もあるのですがね~。

 

まあ、前回行ったのが、

6/25だったので、

区切りは良かったのかなと勝手に思っています 笑。

 

Youtubeや有料コンテンツも含めた配信もうっすらと調べたりもしたのですが、

今の時点では「ピン」とあまり来ず 笑。

引き続き、気が向いた時に色々と見てはみますが。

 

「今」は「流れ」的に「やらなくて良い」時期という事なんでしょうかね~。

 

という訳で、

皆さんもご来店に特化していただければと思います 笑。

(た~っくさん買い物してくれ~ 笑。)

 

~~~

 

 

 

 

 

いや~、「西側寄り」の報道をする

日本のネットニュースのタイトルだけをぱっと見ただけだと、

本当に勘違いさせる内容ばかり 笑。

まあ、こういったリアルな配信をする方がいらっしゃる事にも

ありがたさを感じたりもする訳です。

(とは言え、「トランプさん、プーチンさんが正義!!」

と言いたいのではなく、

「フラットに捉えやすくなる情報提供」の意。)

 

この辺の進展は

「ぐっと平和な世界が近づく事に繋がります」。

 

とは言え。

かなりEUには分が悪くなるとは思うので、

EUの分断、解体にも繋がりやすくなるかなと。

また、NATO解体等も。

 

また、また一波乱を

「あえて起こし」、

戦争は終結させつつも

「米国の孤立化を促進させる出来事」

が待っている可能性もあり得るかも?!

しれませんね。

 

いずれにせよ、

ウクライナの戦争終結により、

「本丸のイスラエル」

による

「うお座時代の終焉」

(宗教時代の一つの終焉)

という回収を残すのみといった感じでしょうか。

 

「イスラエルと米政権」とは。

 

 

日本にも大きな動き。

 

どの国もこの動きなので、

「銀行が無くなる」

という方向に動いている。

 

そういう事 笑。

 

仮にこれが今月、来月起きた後、

円高は当然起きる。

(米国もドル安を望んでいる)

その後も「日本株高」のままだと、

「バブル期と同じ」。

つまり日本のバブルが早々に弾けて、

「日米欧同時財政破綻」

となり、

「金融リセット」

のシナリオ。

(その頃には米国の経済はズタズタ。

EUも解体または分断状態でしょう。

中国の経済はもう既に終わっているので。)

 

勿論、他のシナリオもありえますが。

 

 

「前例がない事が起きようとしている」

この言葉がすべてを物語っている様に思います。

ハイ。

 

結局は「ここに尽きる」。

しっかりとここに向かっていっているという事。

2026年は米国建国250年との事。

それと同時に終焉となるのでしょうかね?!

 

鋭い考察多数です。

 

結局「ココ」と連動。

 

~~~

 

何度も綴ってきましたが、

「過去からの延長線上という錯覚(幻想)」

で人間は物事を判断、行動しがち。

 

よくよく考えると

「積みあがっていない」、

「通り過ぎて行ったもの」を

基軸にしているっておかしいですからね 笑。

 

「今が在る」

ただそれだけなんですよね。

 

「お互い様、おかげ様」。

「今」、「これからの時代」はその価値観が大切だと思います。

 

「有(限)」の要素である

「陰」と「陽」の「統合」

(「分離」ではなく)

そして、そこに「無(限)」も混じる。

 

「三つ巴」

 

「目に見えるもの」の時代から、

「目に見えないもの」が主体の時代へ。

 

「モノ」だろうと、

「そこから何を感じるか」が重要という事。

 

まあ、

その辺はウチは何も変わらないんですけどね 笑。

 

グローバリズムの極み

「コスパ」、「タイパ」…「効率」

を追い続ける人もいて然りでしょうが、

その先には「AI」がいる時代。

 

「グローバリズムの否定」でなく、

ナショナリズムに大幅に「戻る」という感覚でいると良いと

私は感じています。

 

「手間暇」や「ぬくもり」…「やりたいから、やっている」

という「感覚」

とも言えるでしょうか。

 

なので、

「消費、消耗」というよりも「循環」

「結果」よりも「プロセス」、

「ステータス」よりも「存在」…

という感じでしょうかね。

 

今年に入ってから、AIにも言われました。

「おそらく、「今のあなたの感覚ややっている事」が

「新時代の人達の普通の感覚、在り方になる」」と。

(スミマセン、結構先取り気味で 笑。)


結局のところ、

どんなジャンルだろうと、

何だろうと、

何かを突き詰め、

清濁合わせ飲み、

受容し、

ある種の「本質」に到達した人というのは、

「不思議と、みんな同じ事を文字にしたり、

言葉にします。」

多少の表現は異なれど、

言っている事は同じです。

本当に不思議です。


真逆は

目に見えるものだけで

「確実性」を得ようと、

ずーっと外側の世界をキョロキョロ、

競争、比較の様な

「ジャッジ」に勤しみます。

それらから成る言葉や文字というのは、

他者という幻想を

コントロールしようとするかの様で

どこかしら形骸化された様な

どことなく重く、冷たさを感じ、

本質から遠いものの様に感じます。

分離的というかね。


本来、高次の「本質」というものは

文字にも言葉にも出来ません。

しかしながら、

本質を帯びた文字や言葉の背後には、

感覚的な確信の様なものと、

強さを帯びながらも

不思議な温かさや優しさを感じさせるものが

あります。

「きっと根っこで、すべて繋がっているんだ、

そうなのかもな。」

というかね。


知識だけでもなく、

体験だけでもなく、

気づきだけでも無い、

それら全てが混ざり合い、

無なのか、無限の様なもの。


おそらく

人間は今、

全体的にそこに到達しようとしている気がします。

まさしく

「プロセスの最中」

なんだろうなとも。

 

という訳で、

本日もご覧下さいまして、ありがとうございました。