本質

ジャニーズ問題は俗物的に見るのでなく、機会としてみると学びがある。
俗っぽい人間の本質を深く知るにはよい。
ジャニーズ問題とは、下衆な人間が創設した会社の非日常の性癖行為があからさまに露見したこと。
会社を作った本人が亡くなった後、その会社をいかに維持しようとするのかを公衆の目の前で行っている。
遅きに失した解決策を打ち出すが、まったく根本的な部分を見ていない。
そういうたくさんの事項を抱えた事件。
当の関係者本人たちは理解していない。
一番あやふやとなっているところは、物事を正面から見ていない。
表面的なうわべと体制を取り繕っている。
かつてない嵐、暴風雨がはやく通り過ぎてくれないか。
そんな心境なのだろう。
人間的、社会的に正常でない創立者。
企業、会社の体質。
その根源を見ていない。
見ずして、重要なことにふたをしている。
考えようとしているのだが、それは自分たちの利権とエゴ。
自分たちの生き残りのみ思案している。
事務所報酬の辞退なんて、まさにその観点にぴったり当てはまる。
提示すべき改善策はそれではない。
非人間的な道徳観を持った人物が作った会社が利益を生もうとしている。
その体質の刷新を一番見るべきところなのだが、滑稽なほどはぐらかそうとしている。
新社長は事実を何となく知っていたらしい。
というが、彼を間近で見た関係者はそうじゃないと発言している。
この発言がなくても、おそらく多くのひとは新社長は誠実なことを言っていないと推測できる。
他人事でなく、自分自身の問題として見てみるとよい。
人間のある特質を学ぶことができる。
そういう意味では、これが明らかになったことに意味がある。
嘘だらけの仮面をかぶった権威者たち。
おんぼろの鎧を纏った自分のことだけでなく、真摯に自分の姿を考えるとよいのに。
ひとつの提案があるなら、経営に携わった人たち、ジャニー喜多川と同じような行為をしていた人たち、それを見て見ぬふりをしていた人たち、彼らをすべて排除する。
全く別物の、適切な運営がなされる人たちによる経営。
そんなことができたらこの問題の価値は極めて高かったと言えるだろう。
一番大切なのは、この問題が起こった経緯を慎重に念入りに考察すること。
そして、その解決方法をいろいろな意見を取り入れること。
そして、同じ過ちが起きた場合の対処方法を知ること。
それらができるなら、まっとうな考えを持った会社になるだろう。
ひとりひとりが自分自身で解決方法を考えてみるのがよい。
当事者たちもそうでない人たちも。
ことのはじまり。
経過。
事実を知った時の行動。
異常な状態を見過ごしていた状況。
そして解決するためにできること。
すると、そのときに取った方がよかった姿勢を理解できるだろう。
ジャニー喜多川が地位、権力、金がない人間だった場合どうだろう?
と考えると答えはでる。