こんにちは。芦屋の癒し人、松村知典です。
尖る(とがる)
最近、時間が気になる。
時間を意識していないとき、それを気にしなかった。
そして、限りがあるとはあまり思っていなかった。
時間が無限ではなく、有限であることを意識する。
すると、エネルギーをつぎ込むポイントは分散しない方がよいのではないか。
そう考えるようになってきた。
自分の力を特定のポイントに集中させる。
その方が自分にはよいのだろうと思うようになった。
意識していなかったときは、気にしていなかった。
だが、考えてみれば当たり前のこと。
自分が得意なことにエネルギーを集中させる方がいいんだなと。
最近、思うようになった。
それは、
尖る(とがる)
ということを意味する。
今では、ほぼ使わなくなった鉛筆。
鉛筆の芯をとがらせること。
すり減って、先が尖っておらず、丸くなった先っぽ。
その状態では、あいまいな感触の文字を書くことになる。
とがった状態でこそ、明確に使いたい場合、鉛筆の真価を発揮できる。
自分自身を知り、自分自身を活用する。
当たり前のことだが、ウィークポイントを減らすよりも、ストロングポイントを増やす。
その方が、個性が発揮できる。
最大限のパワーを活かすことができる。
長所は短所よりも伸びしろが大きく、より強大なエネルギーを生むことができる。
尖った時に懸念する人がいる。
まわりの視線、まわりからの意見。
凡人は平穏を好む。
平凡を好みがち。
尖った状態に違和感をあらわす。
でも、そんな他者を気にする必要はない。
人生の終わりが来るであろうとき、他者の目を気にするだろうか。
満遍なく、事物をこなす。
それはそれでひとつの特性だ。
それが出来るひとであれば。
多くのひとは、そんなことはないだろう。
自分の中の強いポイントを意識する。
そして、そこに力を注ぎ込む。
尖るというのは、最大限自分自身の能力を発揮できる。
尖って尖って、尖りまくる。
それが自分自身の向上の最短距離になる。
意識して、尖ってみてはいかがでしょうか。
芦屋の癒し人
こんにちは。芦屋の癒し人、松村知典です。
情報の断捨離
今生きている我々の世の中。
誰でも簡単に情報を手に入れることができる。
私がかつて生きていた時間軸においては、わからなかったことを容易に知ることができるようになった。
その時代を思い返すと、正に今は、ドラえもんの秘密道具を使えるようになった時代に感じる。
しかし、これはこれでまた問題が多い。
情報社会、情報過多の社会。
あまりにも多すぎる情報。
必要な情報、必要でない情報。
これらに圧倒されてしまう。
本当の情報、そうではなく本当ではない情報。
本当らしい情報、そうではなく本当ではないらしい情報。
すべて混在している現代社会。
情報は多すぎても、また少なすぎても、たいへんなのだとわかる。
誰もがスマホで検索できるようになって、
かつては知りえなかったこと、
それらを簡単に手に入れることができる。
だが、それが真か偽か。
信じるに値するかどうかを判断できない場合がある。
情報の精査、という作業が必要になる。
持てる情報が多いほど、その確認に時間がかかる。
情報が入手しやすくなったこともあって、多くのひとたちは、本来知る必要のないことまで知ろうとする。
情報が氾濫して、その波の中で、本当に必要なものかどうか、考えてみることも多くない。
普通に顧みると、本当に必要な情報というのは案外少ない。
少ないはずなのだ。
要らない情報に飲み込まれてしまって、疲弊する。
そんなひとが多いと感じる。
情報過多の時代、
情報を絞る、情報を遮断する、
ことも大いに必要だ。
情報の断捨離。
これを実行して、もっとすっきり、軽い状態になる。
情報をリサーチする時間を減らす。
情報を見ない期間を作る。
情報を手に入れないように意識する。
自分自身を知るには、外の情報も大切だが、そんなに多く必要ではない。
もっと冷静になるとよい。
静かな状態の中で、見つけることができる情報にも価値があることを知る。
内なる自分、内なる叡智につながるために
「情報の断捨離」
を積極的に行うこと。
いまの時代の人たちに必要なことだ。
芦屋の癒し人
こんにちは。芦屋の癒し人、松村知典です。
全力を尽くす
魂の向上。
それを人生の第一の目的に掲げる時、なすべきことはただひとつ。
それは「全力を尽くす」ことだ。
魂の向上。
言い換えると、内面の向上ともいえる。
ひとの目を気にするのでなく、神の目を気にするとき、
「手抜きをせずに、命がけでやる」
これが最も肝要だ。
大げさに聞こえるかもしれないが、そうではない。
「これくらいでいいか」
自分の甘さを認識して、手抜きしないこと。
目的が違う場合、ひとは別の行動をとる。
まぼろしの現実の報酬を対価として動く。
そこには、動くエネルギーが少ない。
なぜなら、そこには強い摩擦が生じないからだ。
自身の内に、明確な目的が存在するとき、違う現実を選ぶ。
だが世俗的な多くのひとたちは、勘違いして幻想を実体と考えて動く。
人生の最期が来た時に、それに気が付いても遅い。
でも、ひとの選択は自由。
選択するタイミングも自由。
未来の生に持ち越して、負債を返すことになる。
そうではなく、今の現実のなかで
「全力を尽くす」
毎回無理でも、時にそんな選択をしてみるとよい。
体験は結果となって表れる、否、すぐに結果となって表れなくても、
「命がけでやった」
その事実は変わらない。
For dear life(全力を尽くす)
実に単純なこと。
手抜きしないでやってみられたい。
芦屋の癒し人
こんにちは。芦屋の癒し人、松村知典です。
当たり前という言葉
この言葉を耳にするとき、注意が必要だ。
当たり前という言葉には危険がある。
人がこの言葉を使うとき、そのひとの当たり前の思考や感覚が現れる。
いわば、そのひとの常識の発現だ。
当たり前という言葉には、強制力が含まれる。
そうでなければならない。
そうでなければおかしい。
そうでなければ常識的でない。
ある程度、『共通の当たり前』は社会生活において必要だ。
ルールを守ることは秩序を保つことに役立つ。
しかし、過度の当たり前はそうではない。
個人的に当たり前と思っていることが、当たり前でないことは多々ある。
それを踏まえたうえで、その言葉を使うとき、注意が必要だ。
当たり前とずっと思っていると、そうではないときに苛立ったりする。
他人にたいして、自分が当たり前と期待していることがなされない場合も同じ。
この場合、ひとの傲慢さも現れる。
『ふつう』という言葉も同じく要注意だ。
ひとのふつうは、自分の普通ではない場合も多い。
謙虚であること。
期待しないこと。
すぐに反応しないこと。
他人の当たり前を感じたとき、これらのことが大切。
当たり前なんてない。
常にまっさらな状態でひと、もの、ことに対峙する。
中庸な意識感覚を持つ。
当たり前という言葉を聞いたときには、注意した方がよいのだ。
※当たり前の意味を付記しておきます。
当たり前(あたりまえ)とは、一般的に認識され、疑問を持たれることの少ない事象や状態を指す言葉である。社会的な常識やルール、自然の法則など、特別な説明を必要とせず、多くの人々が共有する認識や価値観を表す。
芦屋の癒し人
こんにちは。芦屋の癒し人、松村知典です。
アマゾンドットコム
最近、ほとんどアマゾンで買うことがなくなった。
かなり以前は買物は、ほとんどアマゾンだった。
そのころ、アマゾンでの販売価格が私が買いたいものの多くが最安値だったからだ。
あるとき、そうじゃないことを知る。
ぼったくりのような金額があったり、最安値が明らかに上乗せされた価格だったり、ロットが大きくて単品では単価が高かったり。
(アマゾンって、それほどでもないんだ)
最近は日用品は送料無料のヨドバシドットコムを使う。
買物は楽天ポイントが付く日によく利用する。
そんなこんなで、アマゾンは当日便を使いたいとき以外は利用しない。
国内企業を活性化する方がいいかなと思って楽天で買えばいいかなと。
楽天だと書籍もポイントが付く。
ヨドバシはどんなものでも送料無料でとても便利で、さほど急ぎでなければ気に入っています。
という、とりとめのないお話でした。
最近毎日飲んでます。クエン酸を摂取すると身体がきれいになりますよ!
芦屋の癒し人





