なぜ占いが当たらないのか?

最近直近の私のテーマ。
帰納と演繹。
難しい言葉だ。
学生の頃、私も形而上という言葉を一見しても二見してもピンとこなかった。
おそらく、知らないひとにとっても同じ語感だと思う。
帰納というのは、体験して学ぶ、ということ。
演繹というのは、先生や教科書から学ぶ、ということ。
ふたつに優劣はない。
ただ、この世界では、おそらく圧倒的に演繹指向が多い。
そう感じる。
頭がよい人の多くは成績優秀。
つまりよい先生良い参考書テキストから学んだ人たち。
習得が短時間で済むのがメリット。
勉強できるけど、スムーズな人生じゃない人もこの領域に含まれる。
もちろん、そうじゃない人もいる。
一方、勉強する方面からでなく、
体験から知見、方向性、整合性を得ることができたひとたち。
これには優しくない時間の中での体験、苦闘、苦悩が襲ってくる。
それを付加にして、勝ち得た独自の哲学、体系。
デメリットは苦痛と時間の長大さ。
そうじゃない人がいれば、めずらしい。
さて。
占いが当たらないのはなぜか?
結論から言う。
演繹思考者が多いからだ。
帰納的体験者が少ないからだ。
要は、フラットにうけとれない差。
この差は、次元差となって存在する。
この一見
この一考、
些細である違いの中には、複数のレイヤーにまたがる、
実相
仮想
つまり
現実(リアル)
非現実(バーチャル)
が多層にわたって縦横無尽に横断しているからだ。
この視座は私の体験から保証しよう。確信して言える。
占いが当たらないのは、
それを真なるものと定義した時点で崩壊する。
崩れ落ちる
それを横に置いておき、頭には入れておきながら。
この場合、持続して、未来の時間軸まで継続することになる。
これは、有料級のネタ記事です(笑)
分かるひとにはわかるのではないでしょうか。
占いが当たらないのは依存してしまうから。
それだけです。
だれに占ってもらおうが、それは真実と理解できるなら、とても深い妖精の方と同じだと思います。


