ライネライト ~ 光の道を追いかけて -16ページ目

ライネライト ~ 光の道を追いかけて

兵庫県芦屋市でライネライトを主催して活動しています。どうぞよろしくお願いいたします。

こんにちは。芦屋の癒し人、松村知典です。
 
 
不調和の美
 
 
なぜAIの文章は完璧な文法と言葉を使っているのにつまらなく感じるのか?
 
なぜAIの生成した画像は、よどみなく完璧でスケール的にもシンメトリーの美で描かれているが、平べったくのっぺりしているのはなぜか?
 
 
 
そこには不調和の美という観点が欠けているからだ。
 
不調和、不格好、調和的でない中に、人間が感じる美が存在する。
 
 
 
テレビドラマのセットのような、
 
白々しい、だが整っていて美しい、
 
だがそれを見たときに人間が不自然に感じるのはなぜか?
 
 
 
その答えはこうだ。
 
そもそも人間は、それ自体不調和な存在。
 
目、耳、鼻、口、体格、どれをとっても左右対称均等にできている人間は居ない。
 
調和的でないものは、完璧な調和に違和感を感じる。
 
 
 
おそらく、清らかな水の中では、魚が生きていられないのと近い、そう考えられる。
 
整っていない自分であるからこそ、整っていない存在を身近に感じる。
 
完璧すぎる状態状況の中では、ひとは息が詰まる。
 
息苦しいのだ。
 
 
 
不格好な人間が引かれるもの。
 
それが不調和の美。
 
完璧でないものの方が、味があって美しいい。
 
それが人間の本質だから。
 
 
 
 
 
 
芦屋の癒し人

 

こんにちは。芦屋の癒し人、松村知典です。
 
 
負荷をかける意味
 
 
今朝ポッキー君と散歩の途中、人とすれ違った。
彼はおよそ40代の男性、ひとりで黙々とウォーキングをしていた。
 
あまり興味がなかった私は、なにげなく彼を見ると、
なんと!
両腕に5キロくらいのダンベルを持っていた。
 
ダンベルが振り子のように行ったり来たりしている。
かなり重いものを持ちながら早歩きしていたのだった。
 
(けっこう、負荷をかけとるなー)
 
(・・・負荷かー・・・)
(負荷をかけるということは、トレーニングに必要だわな)
 
子供が成長時に運動をする、部活を思い出した。
(筋肉つけるには、それなりの負荷が必要やもんなー)
 
(うむうー、待てよ)
(でも、負荷をかけすぎると壊れてしまう)
(ぬるい負荷だと筋肉があまり付かない)
 
(・・・そうだ、つまり適度な負荷。
 そのひとが耐えうる適正レベルの負荷が、成長には必要ということ)
 
そう思ったとき、
(メンタルも同じか)
 
(メンタルも、負荷を受けたことがなければ脆い。
 他人から負荷をかけられたら、しんどいよなー)
 
(あ!)
 
(そこでか!)
(適切、適度な負荷がかかるイベントが起きるのか!!)
(目の前に起きることは、自分でクリアできる問題しか来ないっていうもんな)
 
(やっぱり、人生にも負荷は必要だよなー)
などと考えながら、ぼっーと歩いていました。
 
そして、大谷翔平や藤井聡太を思い浮かべた。
 
彼らが美しいのは、
『常に負荷をかけ続けている』
姿を見せてくれることだと感じた。
 
ベストを尽くす人を見て、
(いいなー!)
って思うこと。
 
これだよ、これ!
みたいな感覚が蘇ったのでした。
 
誰もが一生懸命になれる。
誰もが美しく輝けるということなんだな。
 
 
 
 
 
 
芦屋の癒し人

 

こんにちは。芦屋の癒し人、松村知典です。
 
 
 
気付いていない
 
 
NISAは日本を滅ぼしている。
 
多くのひとは誰もこの事実に目を向けない。
 
 
 
頭脳明晰なひとたちは利に敏く、目先の分析は得意だ。
 
NYダウがなぜ値を下げないのか、少し考えればわかることだろう。
 
日本人のアメリカ投資枠の資金供給により買い支えられていることを知っているか。
 
裕福な投資家が米国株の売却をしていたこと、していることも理解しているか。
 
 
 
投資に興味を掻き立てられた平均的日本人の多くはNISAを始めた。
 
そして将来の利益を目指す姿勢が強まっている。
 
自国のお金が自国から流出してしまっている事実に気づかずに。
 
 
 
自分の家族の起業家が発展を目指すとき、家族内で援助する。
 
それと同じく、自国の会社が発展したいと願うとき、自国の会社へ投資する。
 
この流れ、この考え方、この思いは至極真っ当。
 
 
 
自国の大切なお金を海外へ流出させている事実。
 
賢い人たちでさえ、大局的に物事の本質を見ていない。
 
実のところ、賢いと思われている人たちも、実際はそれほど賢くなく視野が狭いことが多いのだ。
 
 
 
この現実には愕然とする。
 
専門的に学んだ者たちは、本当に専門的なだけであって、全体を見る目が養われていない。
 
今の地球社会では、このことが厳然たる事実と私の目には映る。
 
 
 
今からでもNISAで海外投資をするのでなく、すべて国内企業へ向けると、国力が上がり、所得も増え、他国への競争力も増していく。
 
貧しくなった日本はさらに貧しくなっていくだろう。
 
お金が海外へ出て行っているのだから。
 
自分たちの投資が自分たちの国力をより貶めている。
 
今からでも遅くない。
 
気付いていない人たちが目覚めればの話だが。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

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芦屋の癒し人

 

こんにちは。芦屋の癒し人、松村知典です。
 
 
 
依存
 
 
いぞん。
 
ひとは弱いから、他者を頼りたくなる。
 
きっとそういう時は誰にでもあるだろう。
 
他者が、ひとであったり、ものであったり、みえないそんざいであったり。
 
いろいろな場面、いろいろ場合がある。
 
 
 
これ自体は、特に悪いことではない。
 
よいことでもなく、悪いことでもなく、ただそうある状態。
 
しかし、考えてみるとよい。
 
自分軸で生きていきたい人は特にだ。
 
解決が必要なときや場合。
 
それが壁になるからこそ、他に寄りかかりたくなるのだが、そこは人生におけるターニングポイントととらえることができる。
 
大なり、小なり、自分の目の前に分岐が出てくる状況。
 
 
 
自分自身の外的向上、内的向上を目指しているひとの場合、それをひとつの機会として捉えるのだ。
 
目の前の問題は、神があなたに与えた問題であり、それを解くことができるからこそ、問題が与えられる。
 
自分自身が解決できる内容であり、解決できない内容は、あなたの目の前には来ない。
 
すべて全部が全部、そうだと私は考えている。
 
 
 
答えを得ようとするときに、必要なことは、まず自力で取り組むこと。
 
これが第一に重要なポイント。
 
多くのひと、我々凡人は、楽を求めがち。
 
自分で考えずに、すぐに答えを、労なく得たいのだ。
 
現代社会では検索することによって、簡単に短時間で答えを得ることができる。
 
これも、違う側面では弊害と言える。
 
努力して得ようとしなくなるのを助長する。
 
 
 
立ち止まって、自分の成長を顧みるとき、それで得たものがあるかどうか思い出してみるとよい。
 
与えられた答えなんて、おそらくきっと、多くのひとは覚えていないだろう。
 
楽して解決できた答えをひとは覚えていることは少ないだろう。
 
なので、同じ問題が来た時に、対処できない。
 
検索で得た結果にしても、体験を通したものではないので、うすっぺら。
 
そこには本来土壌、土台となるエネルギーの蓄積がない。
 
 
 
何度も、自分の前に、似たような問題が起きるとき、楽して過ごしてきた人たち、スルーして生きてきた人たちは必ず言う。
 
「どうして同じことばかりおきるのだ!?」
 
「なぜ私はいつも同じ目に合ってしまうのか」
 
「なぜじぶんだけ・・・」
 
その答えは自明だ。
 
問題解決に、真剣に向き合っていないため、同じテストが繰り返される。
 
そのひとにとって、それが棘となっていて、まわりから見たらなんてことない問題でも、ひっかかるのだ。
 
 
 
依存。
 
それもよいだろう。
 
だがそのまえに、自分でもがきながらでも答えを探すのだ。
 
解決方法を全力で見つけようと動くのだ。
 
いろいろな方向から真剣に向き合って取り組む。
 
それでもダメな場合。
 
そんなとき、他のものに依存しても構わない。
 
はじめから、ひと頼み、モノ頼み、神頼みした場合とは、まるっきり異なる展開がくるだろう。
 
少しずつ、それを繰り返していくと、見えてくる。
 
ちがったかたちだが、そこには法則が存在して、ある一定のパターンがある。
 
それにきづく。
 
今日はここまでにしておく。
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

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芦屋の癒し人

 

こんにちは。芦屋の癒し人、松村知典です。
 
 
 
いたわる
 
 
人間の肉体には寿命がある。
 
生まれたばかりを新品とするなら、年月が経るにしたがってお古に変化していくことになる。
 
モノでもそうだが、使っていくと古くなっていき、買ったばかりの新品の時の状態とは変わっていく。
 
見た目であったり、機能であったり、それらは時間が経つにしたがって劣化していく。
 
これは必然必定のことだ。
 
 
 
長持ちさせるためには、意識して気を付けておくことが重要になる。
 
それをひとことで言うなら
 
「いたわる」
 
ということ。
 
人間であれば肉体を日ごろから手入れに気をかける
 
ものであれば丁寧に扱い、メンテナンスを心掛ける。
 
外観、内面ともに美しい状態であるように、できるだけ保っておくという心持ちが必要になる。
 
 
 
人の体においても、栄光盛衰の状態が存在する。
 
人間のからだが25歳前後でピークを迎えるという事実を知っておくとき、その後の衰えにそなえる思考を持っておく。
 
モノの寿命がある程度わかっているときも同様。
 
長持ちさせたいなら、注意しておくことが肝心になる。
 
 
 
我々凡人は、考えが浅く、日々なんとなく流されやすい。
 
失ってみて、はじめて気づくことが多い。
 
衰えてきて、はじめて体験することが多いともいえる。
 
限度限界があることを理解しておき、そのためにできることをあらかじめ知っておく。
 
いたわる、ということを最重要として意識しておく。
 
それが長持ちさせる秘訣だから。
 
 
 
それでは、どうすれば我々人間の肉体を「いたわる」ことができるのか?
 
次の機会にまたヒントを探ることにしよう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

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芦屋の癒し人