こんにちは。芦屋の癒し人、松村知典です。
依存
いぞん。
ひとは弱いから、他者を頼りたくなる。
きっとそういう時は誰にでもあるだろう。
他者が、ひとであったり、ものであったり、みえないそんざいであったり。
いろいろな場面、いろいろ場合がある。
これ自体は、特に悪いことではない。
よいことでもなく、悪いことでもなく、ただそうある状態。
しかし、考えてみるとよい。
自分軸で生きていきたい人は特にだ。
解決が必要なときや場合。
それが壁になるからこそ、他に寄りかかりたくなるのだが、そこは人生におけるターニングポイントととらえることができる。
大なり、小なり、自分の目の前に分岐が出てくる状況。
自分自身の外的向上、内的向上を目指しているひとの場合、それをひとつの機会として捉えるのだ。
目の前の問題は、神があなたに与えた問題であり、それを解くことができるからこそ、問題が与えられる。
自分自身が解決できる内容であり、解決できない内容は、あなたの目の前には来ない。
すべて全部が全部、そうだと私は考えている。
答えを得ようとするときに、必要なことは、まず自力で取り組むこと。
これが第一に重要なポイント。
多くのひと、我々凡人は、楽を求めがち。
自分で考えずに、すぐに答えを、労なく得たいのだ。
現代社会では検索することによって、簡単に短時間で答えを得ることができる。
これも、違う側面では弊害と言える。
努力して得ようとしなくなるのを助長する。
立ち止まって、自分の成長を顧みるとき、それで得たものがあるかどうか思い出してみるとよい。
与えられた答えなんて、おそらくきっと、多くのひとは覚えていないだろう。
楽して解決できた答えをひとは覚えていることは少ないだろう。
なので、同じ問題が来た時に、対処できない。
検索で得た結果にしても、体験を通したものではないので、うすっぺら。
そこには本来土壌、土台となるエネルギーの蓄積がない。
何度も、自分の前に、似たような問題が起きるとき、楽して過ごしてきた人たち、スルーして生きてきた人たちは必ず言う。
「どうして同じことばかりおきるのだ!?」
「なぜ私はいつも同じ目に合ってしまうのか」
「なぜじぶんだけ・・・」
その答えは自明だ。
問題解決に、真剣に向き合っていないため、同じテストが繰り返される。
そのひとにとって、それが棘となっていて、まわりから見たらなんてことない問題でも、ひっかかるのだ。
依存。
それもよいだろう。
だがそのまえに、自分でもがきながらでも答えを探すのだ。
解決方法を全力で見つけようと動くのだ。
いろいろな方向から真剣に向き合って取り組む。
それでもダメな場合。
そんなとき、他のものに依存しても構わない。
はじめから、ひと頼み、モノ頼み、神頼みした場合とは、まるっきり異なる展開がくるだろう。
少しずつ、それを繰り返していくと、見えてくる。
ちがったかたちだが、そこには法則が存在して、ある一定のパターンがある。
それにきづく。
今日はここまでにしておく。
最近毎日飲んでます。クエン酸を摂取すると身体がきれいになりますよ!
イソフラボンを大量に含む貴重な国産大豆が原料のお豆腐です。豆腐とは思えない味です(*^^*)
芦屋の癒し人