こんにちは。芦屋の癒し人、松村知典です。
見返りを求めること
ひとに親切をする。
親切をしてあげるという想いをもつとき、ふたつに分類できる。
ひとつは、見返りを求めること。
見返りを期待することもこれに当たる。
もうひとつは、見返りを求めないこと。
一切見返りを期待をしない。
こんなひとは稀有だ。
見返りを求めないひとでも、はじめはそう思っていたり、自分では求めていないつもりでいたりする場合がある。
意識の下では、何かしら期待している。
エネルギーの観点から見ると、見返りを求めるの至極当たり前のことになる。
プラスがあるとマイナスが必要。
プラスマイナスゼロの状態が均衡が取れた、ニュートラルな状態。
それでは、先ほど見返りを一切求めないひとに関して、エネルギーバランスはどうだろう。
出すだけだと、受け取りが必要になる。
出すだけのように一見見えるが、そうではない。
凡人とは考え方が違うのだ。
彼らは意識していようがいまいか、実はバランスがとれているのだ。
ひとに奉仕できるよろこび。
それを受け取っているからだ。
当の本人から受け取ってはいないが、別のところから受け取っているのだ。
神からの恩寵を受け取ることができるひとたち。
なにかをひとにしてあげるとき、
「してやった!」
という想いがほとんどの人にはある。
お互いの認識の差異がなければ、見返りの問題は多くないだろう。
意識を超越していなければ、その結果の行為に対してなんらかの処置が必要になる。
既に自分は受け取っている。
そんな自覚があれば、きっと誰も見返りを求めなくなるだろう。
そんな意識を持った人が身近にいるひとは幸せだ。
見返りに対する、別の考え方を知っておくことも大切なのだ。
芦屋の癒し人

