カルマの発生について | ライネライト ~ 光の道を追いかけて

ライネライト ~ 光の道を追いかけて

兵庫県芦屋市でライネライトを主宰して活動しています。どうぞよろしくお願いいたします。

こんにちは。芦屋の癒し人、松村です。


東京での仕事が終わりました!
今からポッキー君が待つ、芦屋へもどるところです。

悲しい事前情報では、私の秘蔵コレクションが壊れているかも!とのこと(>_<)

むむう、ポッキーめ!
と心のなかでも言いたいところ。

家のなかも、きっとうんち三昧なんだろうな(>_<)

悪意のない、仕業はやむを得ない。
家の中の無事を祈ります!



ブライアンが面白いことを言ってたのを思い出す。

始めの意図と方向性が違って進むときに、カルマが発生する。

善良なサイキッカーが、はじめは善良に活動していて成功する。

ある時、ビジネスに走り出す。
お金儲けや競争に意識がフォーカスされる、ということ。

すると、みるみるサイキッカーの能力が落ちていく。

彼女の子供は、有名サイキッカーの息子という自負を得て、虎の威を借りる。
親がスゴいんだから、俺もすごいサイキッカーなんだと称してビジネスをする。

つまり、始めの善良性がなくなっている状態だ。

ここにカルマが発生する、という話をしていた。


また、善良な弁護士がはじめは善良に無罪の人の弁護する仕事をする。

ある時、有罪な人の弁護をする。

ここにもカルマが発生する。
有罪なのに無罪のために戦う状況を言っていたのだと思う。



なるほどねー!
面白いせつめいだな、と思った。

カルマというのは持ち越すだけでなく、今生きているところ、あちらこちらでも発生している。


自分をマスターだと思った時点で、その人のスピリチュアルな成長は止まる。こうも言っていた。


ある人は、
「自分の中に神聖さを見いだし、自らがマスターとなれ」
という。


言葉にすると矛盾する。
それは言葉の表現できる範囲に限界があることに起因する。


どちらも正しいし、どちらも間違っている。


言葉による表現には限界があると知っていると、そういった問題にも柔軟になれるだろう。
これは、ブライアンが言ってたことではなく、私が思うところです。

カルマの話からちょっと逸れましたが(*^^*)