〜生死を彷徨い続けた14年間の壮絶な



こんばんは。
あさのちづこです。


先日神戸市垂水区のオラシオンさんが
主催してくださった、私あさのちづこ
のお話会。
 

神戸からだけでなく、芦屋、加古川
高槻、京都からとたくさんの方々が
遠方からご参加くださり、皆さまと
とても素敵な時間を過ごさせていた
だきました。
 

お越しくださった皆さま、オーナーの
随賢さん、法子さん、演奏やお歌を披露
してくださった皆さま、本当に
ありがとうございました。
 
  
お話の初めに演奏してくださった曲
「いつも、何度でも」
 
ちづさんにぴったりだからと
急遽、みなさんで練習して
くださったそうです。
 
 
その歌詞を改めて聴いたとき
ある記憶が蘇り、涙が溢れてきました。
 
 
 
ーさよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる
 
生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじー
 

 
「自分は、今から死にに行くんだ」
  
スピードがどんどん上がっていく
電車の中で、そう直感しました。
 
その直後事故が起き、しばらくして
自分が生きていた事が分かり、
 
「やっぱり生きられるんだ!」
と希望を抱いた数分後

一緒に電車に挟まり、ぴったりと
寄り添っていた青年が
(その時は青年だと思ったけど、本当は
違うかもしれない)
  
突如、私の胸を押し潰すように
暴れ出しました。
 

胸の前にあった左手で必死に
押し返し続けたけれど

彼の力の方が数倍強くて
息がどんどんできなくなって
それでもその力は収まらなくて

やっぱり死ぬんだと思った直後
彼の息が先に途絶えました。
  

さっきまであれだけ強い力で
私を押しつけていたのに、
その瞬間、まるで彼が
私の前からいなくなったように
静かになりました。
 
 
 
「死ぬ」とはゼロにかえること。
 
 
本当にそう。何もなくなる。
  
いや、なくなるんじゃなくて
 
本当は何もなかったことに気づく。
 
全部自分が創りあげたものだった
ことに気づく。
 

自分が死に直面したとき、
またあの日の記憶が何度も蘇る
中で、死とはそのようなものだと
感じました。
  
 
でも、確かに私は生きていて、
一方であの日あの瞬間まで
続いていた107名の命が、
途絶えました。
 
 
ー生きている不思議、死んでいく不思議ー
  
 
何で私が生き残ってしまったんだろう
何で彼が死ななければならなかったんだろう
 
 
事故から数年後、そんな答えのない
問を自分自身に問い続け、

生き残った自分を責め、
死んでいった彼に謝り続けていた
時期がありました。
 
 
あの事故から約15年経って、今思うのは、
私が生かされ、彼が死んでいったことに
理由なんてなかったということ。
 

今、生きていることも、死んでいくことも
同じくらい、当たり前のことではない
ということ。
 

だからせめて、今生かされている
私たちにできることがあるとすれば
 

それは、今という一瞬一瞬を、
幸せに生きるということ。
 
 
お話会や講演をさせていただくたび
私自身、今生かされているという
奇跡に魂が震え、
生かされていることへの
感謝の気持ちが溢れてきます。
 

このような機会をいただき、本当に
ありがとうございました✨
 

今年の講演会やお話会は、無事全て
終わりました。
 

お話を聴いてくださった皆さま、本当に
ありがとうございました✨
 

来年に向けて、また少しずつ準備して
いこうと思います。
 

↓瀬を千尋の神隠しの主題歌でもある、木村弓さんの「いつも、何度でも」
何度聴いても素晴らしい歌声です。




〜生死を彷徨い続けた14年間の壮絶な