おはようございます。
浅野千通子(あさのちづこ)です。
先週末の神戸プラーナで行われ
たお話会を無事に終え、気がつけば
もう一週間。
いろいろ思うことがありま
すが
まずは会を重ねる毎に
人前で話すことに慣れていく
自分をほめてあげることに
しました。
そして、毎回私の活動を
支えてくれる家族や仲間の
サポートが本当に嬉しくて(o^^o)
今回も、「今からここで
宮崎家(私の旧姓)の法事が
始まるのか?」
と錯覚を覚えるような、
家族率の高さ(^_^)V
改めて、私の回復の鍵を握って
いたのは、「私を含めての家族
の存在」だったんだなと
確信しました。
今日はあの日に、「周りに
生きていることが辛くなっている
人に何と言葉をかけてあげたら
よいかわからない」という
何人かの方からご質問を
いただき
私自身そこに思うところが
あったので
それについて書きたいと
思います。
今から約6年前、双極性障害
(いわゆるそううつ病)と
診断され、
精神科の閉鎖病棟に
強制入院となったとき
私が何より憎んだのは、
家族でした。
「誰よりも大切な家族に裏切
られた。
誰よりも信じていたのに。」
ずっと応援してくれていると
思っていたのに、強制入院の
手はずを整えたのは、他でもない
家族だったから。
とてつもない怒りがこみ上げ
てきて、父にも母にも
姉にも妹にもたくさん暴言を
吐いて罵りました。
そこには自分でも見たことのない
くらい、変わり果てた私の
姿があって、ガリガリに痩せ、
人の心を突き刺すような
鋭い目をして、
今思い出しても
あの時はやはり明らかに正常を
大きく逸していたとしか
思えない程の豹変ぶり
でした。
「七年もかけて一生懸命
自分と向き合ってきて、
ようやくお医者さんも
カウンセラーの先生も、
「もう大丈夫!」
って、お薬も全部なくなったのに
家族はそれをずっと見てきた
はずなのに
なんで私をまだ病人扱いするの?
私はもう治ったのに!」
そんな風に家族を責め立てていました。
躁症状は本人は気づか
ないことが多く、
私自身もまた、「ありえない
トラブルがたまたま重なった
だけ」だと思っていました。
躁状態というのは、溢れる
感情を出し切るだけ出し
切ると割とすっと収まるもので
私の場合も、入院して程なく
して落ち着きを取り戻しました。
でも、躁状態が酷ければ
酷いほど、その後に続く
うつ状態もまた酷いもので
私は、ようやく落ち着き、
自分がしでかしたことの
事の大きさを知ると
もれなくまた鬱の波に
のまれていきました。
でも、その時のうつ状態は
これまでのそれとは違って
いました。
「もう自分の人生なんて、
どうだっていいわ」
「期待するだけ無駄」
これまでのうつ病という
診断とは異なり、
完治することはなく、
一生繰り返す病気だと
言われたことも
心の奥では、この病気は
誤診であると思っても
それに抵抗しることをやめた
自分にも
人生を諦めたと思っている自分
にも
そこには、ただ静かな絶望を
感じつつも、すべてに
開き直っている
自分がいました。
私はあんな大きな事故にあっても
まだ大切なことに気づけない
愚かな人間で、それが一体何だと
いうの?
社会貢献して生きていくって
決めていたけど、もう社会
貢献なんてしたくないし
そんなことどうでもいい。
生かされた人間は、亡くなった
方に報いるような生き方を
しなければならないと
思っていたけど、
自分には
それはできなかったし、
もうそんな生き方どうだって
いい
自分を責めることもないし、
死にたいと思うことも
消えたいと思うことも
もうなかったけど、
生きる気力は全くなくて
ただ毎日を
ぼーっとベッドの上で
過ごしていました。
*
*
*
*
実はお話会の前日
私をいつもサポートしてくださって
いる繭子さんと打ち合わせを
していて
自分がこの経験のあと少しずつ
本当の意味で克服していくことが
できたのは
この「自分への諦め、
人生への諦め」が
あったからだと
ようやく気づきました。
私は、このあと少しずつ
自分との小さな約束を
1つずつ果たしていくこと
になるのですが
自分との約束を果たせたから
自分に自信がついて、自分の
内側の愛に気づけたんじゃなくて
「家族の存在に感謝すること」
とか
「世の中に貢献して生きること」
とか
「自分を大切に生きること」
とか
「今この瞬間を生きること」
とか
当たり前にその方がよい
と言われていることさえ
そう思えない自分に
失望する自分を認め、
そう思えない自分に
何とも思わない
自分も認め
それでも「もうどうでもええわ」と
それらを全部手放せたから
とっても小さな自分との
約束を守る準備が
できたんだと。
それは、はじめのうちは
「朝起きたら顔を洗う」
とか、
「窓を開けて深呼吸をする」
といったような本当に小さな
自分との約束だったんだけど。
(そして、それが徐々に
アルバイトとか婚活へと
発展していくんだけど
それはお話会でめっちゃ
話して盛り上がった)
今思うのは、人生こうでないと
いけないとか、本当に何もなくて
どうであってもいいということ。
どうであっても
いいけど、それを選べるの
は自分しかいない
ことは知っておいた方が
よいのかもしれない。
誰がこうって言っても
誰にこうだと教わって
それに従って生きてきた
だけだとしても、
それに気づいたときに、
また従うのも、
やっぱりいらんと手放すのも
自分しかいない。
生きている以上、何が起こるか
わからないのは、皆同じで
起きてしまった理不尽なことを
どれだけ突き詰めたとしても、
起きた事実はなかったことには
できない。
誰かを責めても、
自分を責めても
もちろんそれは変わらない。
でも、もしその事実が
自分を苦しめているとしたら
起きてしまった
その理不尽な出来事を
一旦全部受け入れて、
ぐちゃぐちゃの自分を、
揉みくちゃになるまで
全部味わいつくして
これでもかというくらい
自分の中の溢れる感情に
まみれて
「そんな自分のままでOKだよ」
と自分自身に言ってあげて
ほしい。
「どうでもええわ。」
となるまで
「それでいいよ、
「そのままでいいよ」と
言い続けてあげてほしい。
本当にどうでもよくなったとき
「じゃあ、私はこうする」
とニュートラルな自分が
今を選べるようになると
思うから。
そして、そんな状況から
一秒でも早く救ってあげたいと
願う周りの人たちは
どうかそんな人たちに
「こう考えた方がいいよ」とか
「試練は乗り越えられる人にしか
与えられないのよ」
とか、もっともらしいことを
言わないであげてほしい。
溢れる想いを全部ただただそばで
聴いてあげることが、何よりの
力になることを知って欲しい。
それが近くで寄り添う人が
できる、最適な寄り添い方だと
思うから。
そして、話を聴くくらいしか
できないと自分を責めるのも
もうやめにしてあげてほしい。
この事も、私自身が苦しみ続け
それを克服した後には、
今度は私が
同じ事をして相手を苦しめて
生きてきたので、
そこに気づいた今、どうしても
伝えたかったことです。
【自分の中の愛に気づくには
どんな自分も受け入れてあげること】
これ、からだも、人間関係も
全てにおいて、全く同じ事が
言えます。
ありのままの状態と、そこに
付随する感情に気づく
↓
丸ごと受け入れる
↓
手放す
↓
ニュートラルな
自分が、選ぶ
このステップを知っている
だけでも、物事の捉え方が
大きく変わると思います。
またまた長くなりましたが
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
ところで、1月2日(10:30~11:00)に
FM宝塚のラジオ放送に出ることにな
りました(^^)
またお知らせします。
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