同じ事故に遭い、たまたま同じ車両に乗り合わせていた小椋さん。

自力で車内から脱出した小椋さんが、息絶えそうな私を見つけてくださり、負傷した身体を引きずって救急隊員に知らせに行ってくださった。

今、自分が生きていることの1番の始まりは、小椋さんの存在といってもいいのだと思う。

ずっとずっと、『あの時助けてくれた男性は誰だったんだろう』と気にしながら生きていた。

とにかくお礼が言いたい。そんな風に思っていた。

事故から1年程経ったある日、乗車位置を特定する会に足を運び、自分の乗車位置にシールを貼っていたところ、
小椋さんに呼び止められた。

そして、その時初めて横にいる奥様の朋子さんと出逢った。優しい笑顔が印象的で、旦那様を懸命に支えられている姿が美しかった。

そこから、時折妹と共にお二人のご自宅に招いていただき、音楽やお料理を楽しませていただくなど、
交流を深めてさせていただいていた。

ところが、
もしかしたら私も朋子さんもそんなに大きな時期の差はなかったのかもしれない。

朋子さんも私も、ある時を境に徐々に事故によるさまざまな影響が、心を苦しくさせていき、気持ちが見る見るうちに落ちていった。

そして、程なくして2人とも双極性障害という診断が下された。

同じ病院で、先生は違えど同じようなアドバイスをされ、同じように薬を呑み、寛解はあっても完治はないと言われているその病の波に翻弄される日が続いていた。

時折顔を合わせると、お互い何も言わなくてもその波をお互いに感じあい、それが痛いほど良くわかるから、どれだけ状況がよくても、お互いに一喜一憂することはなかった。

ただ、いつもお互いに相手が良くなることを心から望んでいた。

あれから10年経ち、私はその影響を全く感じることもなく、あの日々は一体何だったのかと言うほどに、ケロっとして日々を普通に過ごしている。

最近、朋子さんにお会いする機会があった。
私が、小さな講演会をするとSNSで案内をしたところ、
今は多可町という開催場所の宝塚からは遥か遠くに住んでおられるにもかかわらず、
真っ先に行きたいと言ってくださったのだ。

当日、私が元気になった様子を見て、
溢れる笑顔で喜んでくださった朋子さん。

まだ病と闘いながらも、人の幸せに心から幸せを感じる人なのだ。

またそのご縁で、お二人が書籍を出版されると知り、今日その本を手にすることができた。

小椋さん夫妻が歩んできたこの長い年月を、私も
心して読み進めようと思う。

小椋さん夫妻と出会ってから、私にとって小椋さんの活動の詳細を知ることは、
事故を真正面から向き合うことを意味していた。

そして私にはそれができなかった。

早く手放したい一心で、目を向けるのが怖かった。

今は、真っ直ぐに向き合いたいと心から思う。

勇気を持って一冊の書にしてくださったご夫妻に
最大の愛と敬意をこめて。

JR福知山線脱線事故からのあゆみ
ふたつの鼓動
小椋聡 小椋朋子