私は3姉妹の真ん中で
手がかからないと言われて
育てられた。

自分でも手がかからない子だと
子供ながらに思っていた。

ところが、ある日私は
誰より手がかかる子に
一変した。

母は、都会に出てくるだけで
吐き気がする程、田舎育ちの
人なのに

私が事故に遭ってから
毎日休まず1時間以上かけて
谷四にある病院にやってきて

朝から晩まで
一緒にいてくれた。

私が泣くと一緒に泣いて
私が笑うと一緒に笑ってくれた。

ベッドで寝たきりの私を見て

「小さい時に手がかからなかった分
今が、幸せや。」と言ってくれた。

その後リハビリ病院に転院し
さらに家からの距離が遠くなったが

母はそれでも毎日私に会いに来てくれた。

月日が経ち、私がさらなる
ピラティスの資格を取ろうと
練習に励んでいた頃

私は、徐々にうつの波に呑まれ
どんどん心が苦しくなっていた。

母はそんな私を励まそうと
また1時間以上もかけて
心斎橋にあるピラティススタジオに
やってきて

時間のある限り、私の練習台に
なってくれた。

私の指導はめちゃくちゃだったが
母はそれでも真剣に受けてくれて

ずっと練習台になっているので
姿勢がとてもよくなった。

すると母は
「あんたのおかげやわ」
と満足そうに笑った。

もちろん、その後訪れた
私の人生が最悪だったときも

いつだって母は全力で
私を応援し

いつもそばにいてくれた。

今、私は新たな挑戦をしていて

母はそんな私をまた飽きもせず
応援し続けてくれている。

私が尊敬する人。

それはもう間違いなく私の母なのだ。


【お知らせ】
10月21日(日)神戸国際協力交流センターにて
ボランティア団体 CAREが主催する多様性
ワークショップ〜精神疾患〜が開催されます。

私はゲストスピーカーとしてお話をさせ
ていただく予定です。日英の同時通訳が
入られるそうです。





【プロフィール】
浅野 千通子(あさの ちづこ)

26才の時、通勤途中に107名の命を奪った
JR福知山線の列車脱線事故で2両目に乗り合わせ、全身10数ヶ所を骨折。

9度の手術とリハビリを乗り越え回復するも
30才を目前に重度のうつ病とPTSDを併発。
その後約8年間に渡って3度の入院と薬物治療
を行う。

現在は、うつ病を完全に克服した自身の経験
リハビリで出逢ったピラティスを始め
さまざまなボディワークからヒントを得て
考案した

心身の回復を超える人生の豊さを手に入れる為のオリジナルセッション」を提供すると共に
講演や執筆活動、子育て支援にも力を注いでいる。

【著書】JR福知山線事故の本質~企業の社会的責任を科学から捉える~(山口栄一編著)

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