Yahooニュースより転載。

「平和が欠けることの怖さを 僕たちは知っている」 平和の詩全文

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朝日新聞デジタル

「平和の詩」に込めた思いを話す仲間友佑さん=2024年6月14日午後4時30分、沖縄県宮古島市平良西里、関口佳代子撮影

 今年の沖縄全戦没者追悼式の「平和の詩」に選ばれたのは、宮古高校3年の仲間友佑さん(18)の作品「これから」。未来に希望をもてる世界を願う気持ちを込めたという。 

【写真】「平和の詩」に込めた思いを語る仲間友佑さん。着想を得たのは宮古島の砂浜での光景だったという=2024年6月14日午後4時29分、沖縄県宮古島市平良西里、関口佳代子撮影 

     ◇  「これから」

 短い命を知ってか知らずか

 蟬(せみ)が懸命に鳴いている

 冬を知らない叫びの中で 僕はまた天を仰いだ

 あの日から七十九年の月日が 流れたという

 今年十八になった僕の 祖父母も戦後生まれだ

 それだけの時が 流れたというのに

 あの日 短い命を知るはずもなく

 少年少女たちは 誰かが始めた争い

 大きな未来とともに散って逝った

 大切な人は突然 誰かが始めた争いで 夏の初めにいなくなった

 泣く我が子を殺すしかなかった 一家で死ぬしかなかった

 誰かが始めた争いで 常緑の島は色を失(な)くした

 誰のための誰の戦争なのだろう 会いたい、帰りたい 話したい、笑いたい 

そういくら繰り返そうと 誰かが始めた争いが そのすべてを奪い去る 

心に落ちた 暗い暗い闇はあの戦争の副作用だ

 微(かす)かな光さえも届かぬような 

絶望すらもないような 怒りも嘆きも失くしてしまいそうな 

深い深い奥底で 懸命に生きてくれた人々が

 今日を創った 今日を繫(つな)ぎ留めた

 両親の命も 僕の命も 友の命も 大切な君の命も すべて 心に落ちた

 あの戦争の副作用は 人々の口を固く閉ざした

 まるで 戦争が悪いことだと 言ってはいけないのだと 口止めするように

 思い出したくもないほどの あの惨劇がそうさせた

 僕は再び天を仰いだ

 抜けるような青空を 飛行機が横切る

 僕にとってあれは 恐れおののくものではない

僕らは雨のように打ちつける 爆弾の怖さも 戦争の「せ」の字も知らない けれど、常緑の平和を知っている

 あの日も 海は青く 同じように太陽が照りつけていた

 そういう普遍の中にただ 平和が欠けることの怖さを 僕たちは知っている

 人は過ちを繰り返すから 時は無情にも流れていくから

 今日まで人々は 恒久の平和を祈り続けた

 小さな島で起きた あまりに大きすぎる悲しみを 手を繫ぐように 受け継いできた

 それでも世界はまだ繰り返してる

 七十九年の祈りでさえも まだ足りないというのなら 

それでも変わらないというのなら 

もっともっとこれからも 僕らが祈りを繫ぎ続けよう

 限りない平和のために 僕ら自身のために

 紡ぐ平和が いつか世界のためになる

 そう信じて 今年もこの六月二十三日を 平和のために生きている 

その素晴らしさを嚙(か)みしめながら

朝日新聞社

 

以上、転載。

 

沖縄慰霊の日。

この部分(詩の朗読)はしっかり観ていた(聴いていた)。

ヒロシマの心や日本国憲法の精神も底流にあるように感じた。

ただ(批判されることを承知で言うならば)、次のようにも感じた。

繰り返されたフレーズに「誰かが始めた争い」がある。

特に詩の前半で4回使われたので、印象に残った。

誰が始めたのか?軍部か?

彼は本当は知っていて、書いたかもしれない。

こういう場だから、あえて曖昧にしたのか。

或いは、担当部所からの”修正”があったのか?

それは言い過ぎだろうが、少なくとも、彼は今後も

「誰のための誰の戦争なのだろう」とと言い続け、研究し、その結論に達するのでないか。

気になる点。

岸田首相の挨拶の途中、ヤジがあった。

個人的には違和感を感じる。

高じれば、相手の言論を封じることになる。