福田型銅鐸(木の宗山出土青銅器)とは?~広島市東区福田

 

「古代~銅鐸・銅剣・銅戈」(「福田いまむかし(改訂版)」(福田歴史文化保存会、福田公民館)を読んで

 

9.まとめ

①「福田型銅鐸(古い文献では福田式銅鐸)」は、「外縁付鈕式横帯文銅鐸(がいえんつきちゅうしきおうたいもんどうたく)」である。

 ↓「銅鐸の名称」 

 ↓「木の宗山出土銅鐸(福田型銅鐸)」

 

「福田型銅鐸の特徴」は、

〇身の主要な模様が、横帯文である。

〇目や鼻、首の長い鳥などが特徴的として描かれている。

〇身の外側にめぐる鰭(ひれ)が複合型鋸歯文(きょしもん)で飾られている。

〇釣り手(原文)の断面菱形部分(菱環部)は2列の綾杉文で飾られている。

〇身の前面に型持(かたもち)の穴がない。出典「伝出雲出土銅鐸(木幡家銅鐸)と宍道町の弥生時代」(宍道町ふるさと文庫17)。

 

②制作された時期は、「古段階」である(難波洋三、「銅鐸研究の財前線」)。紀元前2世紀前後。

※「吊り手(鈕)の装飾化に着目した新旧の分類」(佐原、1960年)難波文献。

 最古段階=菱環鈕式(りょうかんちゅうしき)、古段階=外縁付鈕式(がいえんつきちゅうしき)、中段階=扁平鈕式(へんぺいちゅうしき)、新段階=突線鈕式(とっせんちゅうしき)。現在では、新旧20段階以上に分類されている。「最も古い銅鐸」ではない。※杉原荘介(駿台史学会、1968年)は「古拙期」と分類した。

 

③製作地は、成分分析、遺跡の発掘により、九州北部(北九州)である。福田型銅鐸の鋳型は、佐賀県安永田遺跡と福岡市赤穂ノ浦遺跡で見つかっている。さらに佐賀県吉野ヶ里遺跡で、福田型銅鐸と鋳型が発見された。伝出雲出土銅鐸(木幡家銅鐸)」は吉野ヶ里銅鐸と同じ鋳型で作られた「兄弟銅鐸」である。

 

④材料について

 銅、錫は朝鮮半島産、鉛は中国産(華北)である。

 

⑤銅鐸使用の目的

 墳墓(古墳)で埋葬品として出土した例がない。祭器(楽器)として使用された(「聞く銅鐸」)。次第に大型化し「見る銅鐸」に変化する。この時期は、弥生時代後期頃(1世紀頃)と考えられ、「クニ」や「王」が形成されていくのと軌を一にしている。銅鐸の変化は、社会の変化とは無関係ではない。

 

⑥埋納の目的

 「(石川日出志は)銅鐸が農耕祭祀に使われたとしても、最終的には一定の方式によって何らかの目的で埋納されたとみる。銅鐸が豊穣と生命の象徴であるとすれば、それを埋めるのであるから地霊を鎮める役割を与えると理解しやすいとし、埋納が集落域内ならムラの存続・安寧、ムラの境界である山あいに埋められていれば悪霊や危害を防ぎ、墓域では祖霊への危害を防ぐなどが意図されたのではないかと推測している」「安井良三は、木の宗山出土銅鐸を航海に関わる民の祭祀として埋納を考え、船を航行させる時の「山だて」「山あて」に使われる「山のまつり」に使ったと推測した。これについて石橋は「確かに木の宗山の巨石は遠方から見晴るかすことができるランドマークだが、およそ海から見えない地点に埋納された銅鐸も少なくない。農耕のまつりと航海のまつりがあったとしても、結局どの埋納を航海の祭祀として理解することができるかどうかが課題であろう」と疑義を呈する。「銅鐸・武器型青銅器の埋納状態に関する一考察」(石橋茂登)

 

⑦記紀(「古事記」「日本書紀」)との関連

 記紀には記述がない。学者・研究者の論文(文献)に記紀との直接的な関連のものは見当たらない。

 

【参考文献、図書など】

1.「百聞は一見に如かず 探訪・広島県の考古学」(脇坂光彦・小都隆編著、渓水社、2013年)

2.『広島市の文化財』(広島市教育委員会、昭和62年)

3.『広島県の考古学』(松崎寿和、吉川弘文館、昭和58年)

4.『新修広島市史 第1巻 総説編』(広島市役所、昭和36年)

5.広島県の歴史」県史34、岸田裕之編、山川出版社、1999年11月25日、第1版)

6.『新編 新しい社会 歴史』(東京書籍、平成23年2月、検定済。広島市教育委員会は、市立中学校の教科書として採択)

7.「福田いまむかし(改訂版)」(福田歴史文化保存会、福田公民館、制作年は不明)

8.「山陰地方の青銅器をめぐって」(石橋茂登、人文社会学研究 第19号)

9.「銅鐸・武器型青銅器の埋納状態に関する一考察」(石橋茂登、人文社会学研究 第22号)

10.「論考 突線鈕1・2式銅鐸とその相互関係」(難波洋三、「令和3年度秋期企画展展示図録 大岩山銅鐸の形成」野洲市歴史民俗博物館、2021年)

11.『纒向学研究 第6号』(纒向学(まきむくがく)研究センター研究紀要、2018)

12.「埋蔵文化財ニュース』(奈良文化財研究所埋蔵文化財センター、174号、2019.2.26 )

13.『考古資料に基づく大和王権成立過程の一考察~日本古代史研究への問題意識』(秋月 耀)

14.『銅鐸―その時代と社会』(杉原荘介、駿台史学会、1968年)※引用文献は1888年~1967年。

15.『安芸町誌 上巻』(広島県安芸郡安芸町、昭和48年)

16.『銅鐸研究の最前線=最新の成果から柳沢青銅器を考える』(難波洋三、奈良文化財研究所客員研究員、2018年)

17.『銅鐸から描く弥生時代』(佐原真、金関恕編、学生社、2002年9月)

18.他多数。ウキペディアなども参考とした。

 

今回はここまで。